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こみねもすなるだいありー

全然何にも怖くない

「来いよ」って言われてクリスマスは大阪へ行った

6月に今の仕事を始めた。毎日同じ制服を着て、同じ場所へ通うのは高校生の時以来で、泣きながらなんとか免許も取って、職場の人はみんな優しくて、私は頑張ってた。自分で自分のことを頑張ってるとか言うのどうかなとも思うけれど、それでも頑張ってたと思う。すごく勉強をした。私ができるのは勉強くらいしかないんじゃないかなと思って。

ある日突然、「私ってこのままでいいのかな」と思った。私ちゃんと変われているんだろうかと。同じ毎日を淡々と続けることは、想像以上に体力が必要だった。毎朝起きて、仕事へ行って、まっすぐ家へ帰ってくると、「このままでいいのかな」と思い始めて数日で死にたくなった。なんでなのかわからない。でもこんなにはっきり消えたいとか、あるいはぼーっと車に乗っていたら一時間経っていたとか、そういうことが初めてだった。今まで前向きで明るいこみねちゃんとして生きてきた。これからもずっとそういたかった。でもどうしても浮かんでいけなかった。つらかった。諦めたくなかった。ちゃんとすべきことをこなして、少しずつ上へ上へあがっていきたかった。認められたいなら頑張るしかないと思った。でもつらかった。

趣味のことは、ほとんど上の空だった。テレビも見ない。みんなが楽しそうで少し妬ましかった。なんでみんなそんなに楽しそうなんだろう? と思った。そういう風に考える自分が最低で、すごく嫌な人に思えた。自己嫌悪しかなくて、照史くんのことを見たくなくなった。照史くんのことは変わらず好きなのに、照史くんを見ていられなくなった。

限界かもしれないと思った日、車に乗って一人になった瞬間に、何も悲しくなくてどこも痛くないはずなのに泣けてきた。しばらく走っていれば止まるだろうと思って、近くの本屋さんまでドライブしたけれど、本屋さんの駐車場で動けなくなってしまった。何をどう解決すればしんどくなくなるのか、皆目見当がつかなかった。誰もが私に優しいのに、なんで私はこんなにイヤイヤ言っているんだろうと、自分が情けなかった。家に帰ればお父さんもお母さんも待っているのに、友達もいるのに、心配してくれているのに、私はなぜ普通に生きられないのか?と思った。

なんとか家に帰りついて、もちろんボロボロになった顔をお母さんに心配された。うまく説明できるつもりはなかったけれど、友達のひとりに「身近な人に相談してみたほうがいいよ」と言われたことを思い出して、お母さんと話をした。案の定うまく伝わらず、お母さんはひたすら私を心配し、私はひたすらそれを否定しまくって終わった。ひどいことを言ってしまった。お母さんの前で死にたいと言ってしまったことがショックだった。

部屋に戻ると、青い封筒がぺらっと置いてあった。すぐにチケットだってわかった。お父さんかお母さんが、簡易書留で来たのを受け取ってくれていたんだろう。クリスマスに行くつもりだった、ジャニーズWESTのコンサート。もう行くつもりがなかった。行ける元気がなかった。今の私が楽しい場所に行っていいはずないと思った。誰かに譲って行ってもらえれば、席を確認して友達に相談しよう、と、封を開けた。

見慣れない席種だった。8階?なんだこれはと思って検索すると、京セラドーム大阪には「ビスタ席」なるものがあるらしい。スタンド席のさらに上、ビスタルームに備え付けられたバルコニー席からコンサートを見る。8階はその一番上。どうやら席に着くとき、必ず身分証を呈示するらしかった。チケットを持ったまま思案した。私が芦屋こみねですよと身分証を呈示できる人にしかこのチケットが使えないのなら、このチケットは私にしか使えない。誰かに譲ったって意味がない。それに気づいた瞬間、頭の中がちかちかちかちかした。

照史くんのことを思い出した。久しぶりに思い出した。「見に来いよ」って言われている気がした。そんなの誰だって思う、ファンのかわいい夢だっていうのはわかっているけれど、でも私の名前が書いてあって私にしか使えないチケットは、その時の私の手をぎゅーっと握ってくれた。つらい気持ちと悲しい気持ちと、突然のあったかさで混乱した。私はチケットを封筒から出して、部屋の壁にテープで貼った。起きてすぐベッドから見える場所に貼って、その日眠った。次の日からは、毎朝起き上がって、貼り付けてあるチケットを見て、ベッドから降りて仕事へ行った。とりあえず、クリスマスまでは頑張ろうと思って、毎日決まった時間に起きた。

24日、久しぶりに、夏ぶりに新幹線に乗って大阪へ向かった。友達と会った。初めまして!と優しく話してくれる人もいれば、私が落ち込んでいるのを知っていて「心配してたよ」と抱きしめてくれる人もいた。友達の前でうまく悲しいとか、しんどいとか、上手に気持ちを言えなくて、ヘンにへらへらしてしまったけれど、私はとても嬉しかった。人に会って、こんなに救われた気持ちになると思っていなかった。自分だけではどうにもならないとき、こんな風に人が助けてくれることがあるんだと思った。コンサートへ来てよかったな、照史くんを好きでよかったな、と思った。

ビスタ席の入り口は、びっくりするくらいひっそりした場所にあった。係員のお姉さんにチケットを切ってもらって、エレベーターでぐんぐん8階まで上がって、とうとうビスタルームのバルコニーへ出た。びっくりした。私の上にも後ろにも席がない!私は京セラドームの一番てっぺんに来た。圧巻だった。広くて、大きくて、皆が袋から出して点けたペンライトのあかりがどんどん増えていくのが分かった。素敵だった。ため息が出た。私はペンライトと、双眼鏡と、ハンカチを膝に置いて開演を待った。

センターステージの白い幕が落ちた瞬間から泣いていた。会えてうれしい!という気持ちより、今年一年の自分のことを思い返して泣いていた。辛いことがたくさんあって、底から上を見ていたけど、こんな風にきちんとそれが返ってきたことがうれしかった。初めてドームのステージに立つ照史くんは、泣かない泣かないと言っていたくせに泣いていた。たくさん泣いていた。私の一番好きな、まっとうな人間として頑張っている照史くんだった。

照史くんが事務所に入って、今年ドームのステージに立つまで、14年かかったらしい。照史くんが言っていた。14年って、到底想像がつかなかった。今までどれだけ「まだ仕事を始めたばっかりなんだから、今焦ったって仕方ない」と自分に言い聞かせても理解できなかったのに、その照史くんの一言で、すとんと私の苦しみが終わった。照史くんが14年頑張ってあこがれのステージにたどり着いたように、私もゆっくり、長い時間をかけてどこかを目指せばいいんだと素直に思えた。今日頑張る、今日頑張る、今日頑張る、と、小さなステップを積み重ねていけば、私もきっと照史くんが味わったような「最高」を味わえる。それは夢見る夢子の夢ではなくて、照史くんがちゃんと教えてくれた、真面目に生きる醍醐味みたいなものかもしれないと思った。

楽しいクリスマスが終わって、新幹線で山口へ帰る間も、胸がずっとほこほこしていた。終わっちゃって悲しい気持ちじゃなくて、これからはどういう気持ちで生きよう?という、なんか底抜けな明るさがあった。雪だるまのペンライトを持って、大好きな友達からのメッセージをたくさんもらって、大好きなジャニーズWESTの曲を聞きながら新幹線に乗っている私は、めちゃくちゃ愉快で楽しく人生生きてる人みたいで面白かった。あのビスタ席のチケットがなかったら、私いまどんな気持ちだったんだろうなぁって思った。枝分かれした未来のうちの一つに私はいて、それは照史くんとかジャニーズWESTとか大好きな友達とか、大事な家族とかがこっちだよ~と導いてくれた未来だった。とりあえず帰ったらすぐに、お母さんに楽しかったよって言って、たくさん話をして、もう大丈夫だよと伝えたいなぁと思った。

今年一年、色んなことがあって色んなことで悩んだけど、最後にちゃんと年末調整があって、私が払い過ぎた落ち込み税が控除されて返ってきたみたいな、そんなクリスマスでした。照史くんありがとう。来年も好きでいます。助けてくれて本当にありがとう。