こみねもすなるだいありー

全然何にも怖くない

お葬式

昨日、祝日で1日休めることにほくほくしながら帰宅したら、父に「葬式に行ってくれ」と頼まれた。遠縁のおじいさんが亡くなって葬儀に出席しなければならないが、明日はどうしても外せない用事がある。あいにく母も旅行中でいないので、こみねが行ってくれないか?とのことだった。こういうのは誰が行くかとかではなくて、家からきちんと誰か出席する、というものなので、あまり気にしないでいいと。私はそのおじいさんのことを知らなかった。親戚筋の苗字だったけれど、会ったこともなければ顔も知らなかった。父はお世話になっていたらしい。通夜には父が出席し、葬儀は私が代理で出席することになった。旅行中の母に喪服を借りて、朝から行ってきた。

葬儀は、私の父方の祖母と、母方の祖父の葬儀に出席したことがあり、そのときと同じ式場だった。町に一つしか式場と火葬場がないので、当たり前と言えば当たり前。親族席の一番端に座り、促されるまま焼香をして、心配して優しくしてくれる知らないおばさんの近くにいた。

私の知らないおじいさんの、笑顔の写真が祭壇に飾られていた。娘さんがたくさんいる人だったようで、お孫さんもたくさんいた。制服を着ている高校生の男の子もいれば、最近働きだしたというような若い女の子もいた。一番小さなお孫さんは来年の春から小学生になるらしく、とてもかわいらしい女の子だった。ランドセルは赤色にするらしい。ピンクじゃなくていいの?とおばさんに聞かれていた。

私は、自分の祖父と祖母の葬儀を思い出していた。祖父は小学5年生のとき、祖母は高校3年生のときに死んだ。祖父のときは、放課後学校に連絡があり、両親が車で迎えに来て、制服のまま祖父の顔を見に行った。祖母のときは、もう17、8歳だったし、家族が祖母の介護をしていたので、危ない状況だということは分かっていた。早朝両親に「危ないから行こう」と起こされ、そのまま学校へ行けるよう制服を着て病院へ行き、祖母の死に際をみんなで看取った。そういう、死ぬ間際や、死んですぐのことは覚えているのに、葬儀のことはなぜかあまり覚えていない。どんな風だったかとか、家族がどんな顔をしていたかとか。

お念仏が終わり、棺の中に花を手向けるというとき、赤色のランドセルに決めた小さい女の子が泣きだした。おじいちゃんおじいちゃんと言って泣いていて、思わず胸が詰まった。式が始まるまでは特になんともなく過ごしていたお孫さんたちも、みんなぽろぽろ泣きだした。みんなおじいさんとの思い出が色々あるんだろうと思う。

おじいさんがお骨になる間、お斎にも呼んでもらった。なかなか所在が無くてどうしようと思ったけれど、ご親族の方に「来てくれてありがとう」とおもてなしをしていただいて、ちょっとホッとした。さっき心配になるほど泣いていた女の子は、お子様ランチを食べてニコニコしていたので安心した。お小遣いをもらったようだった。

私が祖父や祖母に「こんなによくしてもらった」と思うことはたくさんある。でも、その「こんなに」を具体的には書き表せない。金銭的な援助はもちろんしてもらったと思うし、面倒もたくさん見てもらった。私本人は、それが具体的にどんなことだったのか知ろうとも思わなかった。ただ受け取って、祖父や祖母とお別れしただけだった。それを少し後悔していた。
けれど葬儀の間、泣いているお孫さんたちを見て、それでよかったのかもしれないなぁと思った。「優しくしてもらった」という、ただそれだけの漠然とした記憶だけれど、それは本当に、望んでも得られない記憶だと思う。漠然としているからこそ、忘れがたい記憶だと思う。その記憶を、私くらいの歳になったときハッと鮮明に思い出したりして、ちょっと切なくなって、それで十分なのかもしれない。祖父や祖母も、それ以上は何も望んでいないのかもしれない。

最後にお土産とお花をいただいて帰宅した。母の喪服は超絶肩パットが入っていたようで、帰って鏡を見たら自分がロボットみたいで笑った。勉強になった。色々思い出せてよかった。でもやっぱり疲れたので、夕方までしばらく眠った。

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