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こみねもすなるだいありー

全然何にも怖くない

短歌を好きになって詠み続けているのは瞬間を救ってくれるから

短歌に初めて会ったときの話をここでしていた。

ask.fm

高校二年生の修学旅行は、贅沢にもディズニーランドのオフィシャルホテルに泊まった。オフィシャルホテルじゃなかったかもしれないけど、ランドに近くてとてもきれいなホテルだった。私は高校のクラスに仲の良い子がいなくて、ちょっと派手めな女の子2人組にいつもくっつかせてもらってた。確かディズニーランドかシーか、どちらか好きな方に行っていいよと言われてたんだったと思う。私と女の子2人はディズニーランドへ行ったのだけど、2人はそれぞれ彼氏がディズニーシーへ行っていて、お土産にダッフィーのぬいぐるみを買ってもらってた。それを抱えながら2人がベッドの上で彼氏に電話を始めた(確かホテルの棟が違った)ので、私はいたたまれなくなってホテルの売店へ行き、若い世代の何人かを短歌に叩き込むことに貢献した『ショートソング』という本を買って、その晩1人で読みふけった。読みふけったあと、持ってきていた手帳に短歌を詠んで書きつけた。自分がいいと思った言葉を一生懸命選んで短歌を詠んだ。そのあとの修学旅行の移動中は、ずっとバスと飛行機の中で短歌を詠んでいた。

ショートソング (集英社文庫)

すごくよく覚えている。ホテルはすごくきれいでなんか王宮みたいだったのに、売店だけは古ぼけた街の文具屋さんみたいな雰囲気で、意味わからないお土産(サンゴの指輪みたいな)がたくさん並んでいて、そこに短歌があった。誰もいないロビーで、文庫本の入ったナイロン袋のカサカサいう音がすごい響いた。
私はあの売店が幻だったんじゃないかと今でも思う。

幻の売店で短歌を買って、私は寂しい修学旅行を救ってもらった。

「あっ今寂しいな」と思った瞬間や、「今のすごいよかったな」と思った瞬間を、短歌は救ってくれる気がする。リズムを付けて浮上してくる言葉はいつも一瞬のきらめきで、私はそれを金魚をすくう小さなアミですくいとる。長く語ると薄まりそうなバチッとした一瞬も、小さいハコに収めるとちゃんとした標本になる。一首一首が、瞬間を抽出したお土産になる。
夜中唐突に寂しい瞬間、スマホの画面を開いて、こちょこちょと寂しい気持ちを詠む。怒りが一瞬沸点に達したとき、その気持ちを詠む。外を歩いていて「今のだよ」と思ったとき、手帳を開いて詠む。一瞬の入ったハコがどんどん手に入る。この気持ちをどうしたらいいかわからない、と思ったとき、短歌はそれを救ってくれる。

瞬間を何度も何度も短歌に救ってもらって、やっと高校二年生の冬から6年が経つ。短歌がなかったら、もっと6年は長かっただろうなぁと思う。寂しいときの短歌も、怖いときの短歌も、きれいだと思ったときの短歌も、全部高校二年生の修学旅行の夜に繋がっている。多分この「瞬間を救ってくれる」ものが、他の人にとってはスポーツだったり、ゲームだったり、彼氏だったり、漫画だったりするんだろう。私は短歌だった。それに出会えてよかった。