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こみねもすなるだいありー

全然何にも怖くない

「面白い」の呪い

「面白い」と思われたい病気なのかもしれないなと思う。何でも病気病気と言ってしまうのは失礼だと思うので「面白いの呪い」とでも言ったほうがいい。ずっと前に「面白いの呪い」にかかって、ずっとそれに気づかなかった。

「面白い」は、ギャグセンスがいいとか、みんなを笑わせるとか、そういうことじゃなくて「誰かの目にとまる」「誰かの心にとまる」「誰かの薬になる」「へぇ、と思われる」とかそういう類の何かだ。私の中ではそうだった。一目置かれたい、というと、なんかまた違う気がする。とにかく、特別な何かだ。「他とは違う」何か。

「面白い人」になりたいわけではなくて、「面白い」を生み出せる環境や知識が欲しい、そのための器官が欲しいと言ったほうが近い気がする。

「面白い」ことを言おうと思って、なぜか一時間も二時間も考えることが度々あった。別に誰に求められたわけでもないし、誰かに「面白い」と思われたところで何の得もない。「面白い」と「その人に興味を持つ」「その人を好ましく思う」とはまた別のことだと思う。随分と疲れた気がする。疲れたのに未だに自分が面白いことを言えないことに焦りとかいらだちを感じる。「面白いことを生み出す器官を持たない私」「面白いを生み出せない私」に価値がなく感じる。面白さに一体どれだけの価値があるのか、考えたけれどわからない。でも「面白くない」ことは悪なのだ、と思ってしまう。辛くばかばかしい。今まで私が生み出したものに「面白い」ものがいくつあったのか。私には判断できない。ボールは受け取る相手が、どんなボールだったかを判断するものでしかない。私が思い切り投げたボールが、他の人にとってふにゃふにゃのボールだったなら、それまででしかない。私がやわらかく投げたボールが、他の人にとって剛速球でとても捕れなかったら、それまででしかない。

何が言いたいのかよくわからない。「面白い」と一緒に死にたくない。

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