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こみねもすなるだいありー

全然何にも怖くない

たった一人でさまようふたり

自分がどう見られたいか、どう見られることが自然なのか。人に何を求められているのか、それに応えることができるだけの力が自分にあるのか。人生はいつも多面的に何かを見ることが求められ、外からも中からも、気を抜けばすぐ曇り始めるガラスを拭くことに精一杯だ。腕を振り回しながら曇りを拭っていたら、いつの間にか向こう側に、自分と全く似ていない人間がいた。それが中間淳太と、桐山照史だと、たまに思う。

似ても似つかない2人だが、1枚ガラスを隔てて、いつも見つめ合ってきた。思い切り叩けば割れるガラスをあえて割らずに、本当に傷つきやすいところにはふれないでやってきた。そんな印象だ。

もし2人が、ガラスを割って凶器を手に、お互いの急所を抉り出してしまったら、きっと2人ではいられなくなるだろう。そういう荒い手を使うことが正解となる人たちもいるなか、おとぎ話のようなアメリカン・ドリームを背負わされた2人は、ガラス1枚の距離感を、今も大事にしているような気がする。

波乱の青年時代は過ぎ、2人はショービジネスの世界に、5人の仲間と共に漕ぎ出した。彼らの努力は実り、ひとつの区切りとして夢はかなった。もっと違う場所へ、自分が望む場所へ進んでいくための権利が与えられた。終わりがどこかはわからない。どこまで行けるかもわからないけれど、当面走り続けられるだけの時間の猶予を得た。

生身の自分として(役柄を演じる俳優としてではなく、という意味)登場する媒体が多い分、「元B.A.D.」の2人の心情が伝わってくることがある。もっと違う自分を見てほしい。実は自分はこういう人間だ。こんな不安がある。「アイドル」とはこういうものだったか?と私は息が詰まった。28歳と26歳の男性が、無理矢理何かをはぎ取られるような。綺麗につくろった糸を端から切られていくような。もう甘い、ふわふわと綿菓子のような夢を売ることはできないのだ。年齢のせいもあるし、今まで積みあげたキャリアのせいもある。そんなヒリヒリした2人を見ていると、私はふいに、異国の広い広い国道を思い出す。

カンカンに日が照り、砂埃の舞うアスファルトの道。ひび割れに無造作に生える背の高い雑草。通り過ぎていく赤い車やトラック。親指を立てても誰も止まらない。この道のずっと先にある街まで、なんとかたどり着きたい。少しの水とビスケット。歩いていくしかない――。

残酷なまでに自由で、好きにしろと神様から放り出された2人。中間淳太桐山照史という名前を得て、間にガラスを1枚隔てて、他人でもベストフレンドでもない特別な距離感のまま、彼らは目的地を目指す。地図がない。この道をたどるしかないと歩き続ける姿は、さながら遭難だ。それでも、道路の果ての果てにある街には、彼らが生まれながらに探すアメリカン・ドリームが眠っている。だったら行くしかない。偶像を売る行商のトラックを後目に、彼らが持っているのは少しの金貨と紙幣。笑えないほどリアルな旅。でもきっと、理想を求めて生きるとは、元来そういうものだ。本当の自分もわからないまま、しゃにむに歩き続けることだけが、進む人間を救うのだ。

「自分でいることにブレたくない」と言う人間と、「自分のことはわからなくてもいい」と言う人間。彼らが一番目指しているのは、本当の自分を突き止めることではなくて、自分の夢が叶う街へたどり着くことなのかもしれない。街から街へ、肌を焼かれて歩き続ける。手は取り合わず、隣にお互いを感じながら。ロードムービーはまだ序盤だ。これからどんなシナリオが待っているんだろう。金貨とシャンパンの泡にまみれて笑う2人を終盤で見られたら、ファン冥利に尽きる。


TVガイド PERSON VOL.48

TVガイド PERSON VOL.48