こみねもすなるだいありー

全然何にも怖くない

重岡大毅は強力な空白である

重岡大毅は、さまざまなシンボルに成りうる青年だ。

仕立てがいい真っ白いTシャツのような、徹底的なまでのプレーンさと気取らなさが共存している。そのTシャツをリメイクするように、多くのファンが彼を自分にとってのシンボルとする。若さのシンボル、希望のシンボル。時には彼を狂気のシンボルだと感じたり、混沌のシンボルだと感じる人もいる。鮮やかなペイントが、真っ白いシャツに広がる。どんな絵の具で色を塗っても、どんな刺繍を施しても、重岡大毅はそのうち、ひょいと最初のプレーンな状態に戻ってしまう。歯をこぼれさせて笑っている。

7人組グループのセンターに、彼がおさまっていることは、そういう強さが結びついてのことなのかもしれない。メンバーカラーの赤色を預けられても、その赤色の強いイメージを与えられても、彼は簡単に白に戻れてしまう。白と言うより、透明なのかもしれない。いや、透明という言葉も、彼をカテゴライズしたり、カラーリングしてしまうような気がして、ふさわしくないくらい。カテゴライズされない。カラーリングされない。ラベリングされない。できない。その時その時で必要な色に染まったとしても、必要なラベルを貼ったとしても、どうしてだろう、いつの間にか、すべてが彼の表面から剥がれ落ちて、彼は何にも縛られない、ただの重岡大毅に戻っている。

彼は強力な空白だ。全てを受け入れているように見えて、全てを跳ね返して、はがして、反射している。誰が何を投げ入れても、浴びせても、ブラックホール(ここにブラックという言葉を使うのすらふさわしくない感じがする)のようにそれを掻きとる。重岡大毅という名の強力な空白が、7人組アイドルの真ん中に鎮座している。誰にも止められない。彼がただ彼であることを、ただの重岡大毅であることを、誰も邪魔できない。誰も彼を好き勝手にすることはできない。それが圧倒的なのだ。検索小窓に「重岡 センター」と打ち込むと、「重岡 センター 理由」とサジェストされる。彼は空白だ。だから真ん中にいる。どんなに鮮やかなカラーボールを投げつけられても、何色の服を着ていても、彼に色はない。異質なのだ。だから真ん中にいる。

その強さが、彼を「みんなの重岡大毅」たらしめている。みんなのシンボル。みんなのアイドル。それはフリー素材や無料配布の類ではない。重岡大毅は奪われない。ひとつしかない肉体と精神を、彼は自分のためだけに使う。多くの人のシンボルであることを理解しながら、彼は自分は自分でしかないという事実も理解している。その両方を持つ人が、どれだけ稀有なことか。

田舎町で彼を愛するファンの少女は、彼を憧れる大人のシンボルとしてみるかもしれない。都会で身を削りながら働く大人は、彼を青春のシンボルとしてみるかもしれない。孤独に震えている人間にとって、彼の特徴的な笑顔が、救いのシンボルになるのかもしれない。

彼はシンボルになる。多くの人のまなざしの中で、意識の中で姿を変え、その人にとっての重岡大毅でありつづける。「俺はいつでもここにおるよ」と言える彼の姿は、あなたの目には、どう見えているのだろう。