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こみねもすなるだいありー

全然何にも怖くない

毎日悲しくなっている時間はない

ポストのダイヤルキーは、右から1、5、左に4。大体クレジットカードの請求書か、引っ越し屋かデリバリーのチラシしか入ってない。アパートのエントランスのゴミ箱に捨てて、一枚だけ入っていたはがきを読む。数か月行ってない美容院のDM。わざわざ一筆添えてある。ちょっといいなと思っていたスタイリストさんが、空気みたいに店を辞めてから、なんでか行けなくなってしまった。毎月違う美容室で、毎月少しずつちぐはぐの髪型になる。ゴミ箱に捨てたかったけど、自分の住所が書いてあるので、仕方なくトートバッグの中に入れる。オートロックを開けた。

部屋まで階段を上る。上から誰か来たら、下から誰か来たら、と思うとなんとなく怖くてイヤホンを外す。さっきオートロックを開けたまま持っていた鍵で部屋の扉を開ける。暗い。上がり框の電気を付けようとしたけど、つかない。そうだった、電球切れてるんだった。諦めてスマートホンで足元を照らして、部屋まで壁伝いに歩く。今朝出そうと思って出しそびれたゴミ袋に若干つまずく。

部屋の電気を点けて、テレビを点ける。コートを脱いで、着ているものを脱ぐ。部屋着に着替えてから、コートをかけて、着ていたものをベランダの洗濯機にそのまま入れる。洗剤を入れて、スタートボタンを押す。深夜だけど、もういいや。みんな回しているから。隣の、多分女の子の住人も、よく真夜中に洗濯機を回してる。そんなに気にならない。

数年使ってもうカスカスになったバスタオルをとって、部屋で服を全部脱いでからバスルームへ向かう。脱衣所がないとこうなる。洗面ボウルでお湯の温度を調整してから、シャワーを出す。クレンジングオイルを適当に手に取って、化粧を拭う。湯で流した後、洗顔フォームを泡立ててまた顔を洗う。詰め替え用パックを詰め替えないまま使って何週間か経つ。気にしない。髪を洗って、体を洗って、歯を磨いて湯を止める。バスルームの中で体を拭いてから、部屋へ戻って服を着る。

座ってすぐに顔に乳液と化粧水と美容液とクリームを塗る。その間ずっとショップチャンネルを見ていた。マヌカハニーについて熱く語るヘルシーアドバイザー。欲しくないのに欲しくなる。ショ糖が入っていないマヌカハニーなら、夜中に食べても大丈夫だそうだ。フルーツやヨーグルトに溺れるほどかけて食べていた。値段を見る。四千円代後半。あのひとさじがいくらくらいなんだろうとか考える。顔を塗り終わったら、髪にトリートメントを付けて乾かす。短く切ってから、乾かす時間が随分短くなった。

髪を乾かし終わったら、もうすることは何もない。ベッドへ腰かけて、ネットサーフィンしていた。

もう日付が変わってしまった。「もう」と頭の中でつぶやくと、突然不安になってお金の計算を始める。今月の収入と出るお金を付き合わせていたら、全然足りない。あれ?おかしいなと思って、2,3度計算しなおす。何度計算しても足りない。顔から血の気が引く。けれど、一つ収入源を忘れていた。その分を足せば、余裕はないけれど足りる。ホッとしてベッドに寝転がる。

母と随分電話していない。随分といっても何週間だけど。

明日は光熱費を振り込んだり、部屋の更新費を振り込んだり、色々とこなすことが細々とある。あの封書を送り返して、そのうち平日に役所にもいかなくては。自分がやらないと片付かない。

そういえば、ちょっと行きたいなと思って申し込んでいたライブのチケットが当たった。絶対行きたい!と思って申し込んだわけでなかったから、なんだか「あ、そうなのね」という感じだった。期限までにチケット代を振り込まなくては。発券の期限もちゃんとチェックして。絶対行きたい!というライブのときは当たらなくて、こういうときに当たるのは何なんだろう。まあ、なんでもない。ただの運。ただの偶然。

洗濯機が止まった。ベランダへ出る。洗濯機から出したタオルや服を外へ干す。下着や靴下は、部屋の小物干しに吊るす。私の靴下は黒ばっかりだ。

そういえば、と思って、さっきまで外で持っていたバッグを漁る。中から小さい包みが出てくる。今日で勤め先から移転になった上司にもらったものだ。開けると、かわいらしく包装された棒状の物が出てきた。外のシールを見る限り、チョコレート菓子みたいだ。もう歯を磨いたから食べるのはやめる。小さなメモが入っていた。二年間ありがとう、頼りがいがあって、面倒見がよくて助かったよ。と、書いてある。私宛の手紙みたいだ。「時間はたくさんあるから、ゆっくり考えて自分の道を進んでいってね。ありがとう。」最後に署名がしてあった。

時間はたくさんない。

時間はたくさんないです。

メモと包み紙をテーブルに置いて、電気を消した。手探りでベッドまで戻って、スマートホンを枕元の充電器に挿す。ディスプレイが明るくなる。アラームをかける。8時、8時15分、8時30分と、15分刻みでかけた。イヤホンを耳に入れる。スマートホンの中から曲を選んで、小さな音で流した。枕に頭をのせて、横向きに布団の中に納まる。枕から、私の頭の匂いと同じ匂いがする。

明日、母に電話しよう。振込も忘れずに。出し忘れたゴミも明日の朝出さなくては。あとはチケットのことも。時間はたくさんない。たくさんはない。
カーテンが半分だけ開いている。閉めようかと思ったけど、これでいい。ちょうど枕元に朝の光が差す具合だから、まぶしくて目が覚めてくれるだろう。逆向きに体を転がして、胸の下で腕を組む。

今日やり残したことを、やり忘れたことを、やっていくだけの明日だと思っていたら、眠気が来た。今から寝ても、6時間半。時間はたくさんない。