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こみねもすなるだいありー

全然何にも怖くない

「ずっと一緒にいる」「ずっとなんて言わないで」 ―小瀧望初主演舞台『MORSE』千秋楽を迎えて―

11月から、静かに静かに公演を続けていたMORSE。ついに千秋楽、おめでとうございます。
何度も足を運べたわけではありませんでしたが、とても自分の糧になる舞台でした。
以下、画像以降は、感想や考えたことです。
千秋楽を迎えた後ですので、大丈夫かな? とは思うのですが、個人の解釈や意見に敏感な方はお気を付けください。
以前東京公演を観劇した際の感想文はこちらです。もしご興味がおありでしたら、併せてお読みいただけるととっても嬉しいです。

ashiyakomine.hatenablog.com





http://www.flickr.com/photos/41304517@N00/6717226759
photo by blmiers2




■オスカーは与えた。エリは与えた。

オスカーは自尊心を持てなかった男の子だ。お父さんもお母さんもオスカーを扱いづらい子供として見る。先生は自分が助けを必要としているときに助けにきてくれない(自尊心のない子供に助けを呼ぶという選択肢はないような気がする)。友達はオスカーを豚野郎と言っていじめる。自尊心を得られる機会が、12年生きてきた中で極端に少なかったか、全くなかった。そういう男の子だ。
母親や父親、先生は表面上オスカーに優しくふるまう。けれどいつでも、その優しさはかりそめだ。母親は「かわいくて言うことを聞く子供」のオスカーに依存しすぎている。父親は自分がパートナーと暮らすことが第一だ。先生は「大人になれば楽になる」と、今のオスカーを救ってくれようとはしない。
だからオスカーは、いじめられても反抗できない。やり返されるのが怖いのではなくて、反抗するために必要な「自分は虐げられていい人間ではない」という自尊心がぽっかりと欠けているからだ。オスカーは自分を認めてくれる、自尊心を与えてくれる人間を求めていた。求めて、いつも夜の街を歩いていた。いつか誰かが「あなたは虐げられていい人間ではない」と言ってくれることを待ち望んでいた。

その瞬間は訪れた。エリがあらわれた。エリは残酷で強烈な方法でオスカーを認めた。オスカーのために、オスカーを虐げていた人間を殺した。それは「あなたはこの人間に虐げられていい人間ではない」「あなたは殺した人間よりも生きる価値がある」という証明に他ならない。オスカーがエリと共に行くことを決めたのは、ある意味当然のことだったかもしれない。オスカーが求めていたものを、エリは与えた。

エリもまた、オスカーと同じように、求めていた。ただ、彼女が求めていたものは少し違う。エリが求めていたものは「人間としての承認」だった。

エリは血を飲まねば生きていけない。血を飲んで、200年も生きている。人間と同じものは食べられない。人に招かれなければドアの内側へ入れない。日の光を浴びることができない。常識から考えると、エリは人間ではない。けれど、エリは「私は人間だよ」と言う。大人でもない、子供でもない、男でもない、女でもないけれど、人間。エリが「自分は人間だ」と思い続けている限り、エリは人間でいられる。けれどエリが自分自身を「人間以外の何か」(「あれ」)だと自覚してしまえば、エリはその瞬間、人間でいられなくなる。孤独なエリを人間たらしめているのは、エリ自身の意識だけだった。唯一関わりを持っていた人間であるホーカンは、エリのことを人間として扱ってはくれなかったからだ。ホーカンにとってエリは「神」であり「天使」だった。神も天使も、人間ではない。エリはきっと、自分以外に「自分を人間として認めてくれる人間」がほしかった。自分を現世につなぎとめてくれる人間がほしかった。

エリの前に、オスカーがあらわれた。オスカーはエリを友達にして、ガールフレンドにして、姫にした。女の子でなくてもいいと言い、神にも天使にもしなかった。エリがオスカーに「まだ(自分に)恋してる?」とたずねていたのは、オスカーがいつか自分を、ホーカンのように崇拝するようになるのではないかと思ったからかもしれない。オスカーはきっとまだ誰かを崇拝すること、それをうまく言葉にすることを知らない。ともあれ、エリと出会ったオスカーは、エリを人間の女の子として扱った。エリが求めていたものを、オスカーは与えた。

お互いがお互いの求めていたものを与え合った。そしてエリにもオスカーにも、ほかに大事なものがなかった。だから一緒にいたいと思った。当たり前すぎて涙が出る。

■ 「約束は嫌い」

エリは幾度も「約束は嫌い」と言う。

エリはきっと、今まで何度も約束をやぶられたのだと思う。それは単なる待ち合わせの類だったり、パズルをズルせずに解いたかを誓わせる約束ではない。そんなちょっとやそっとの約束をやぶられたくらいでは、約束自体を嫌いにはならないだろう。
エリが破られた約束は「エリとずっと一緒にいる」「エリをずっと愛し続ける」「エリをずっと守ってあげる」。そういう類のものだ。「ずっと」「永遠に」なんて言葉は、いつか死んで消えされる者だけが口にできる、傲慢な言葉だ。エリに対してその類の約束を結んだとして、それが成就するはずがない。エリ自身が永遠なのだから。エリは200年の間、何度も何度も永遠を冠した甘い約束を結ばれ、そしてやぶられた。だから約束が嫌いなのだと思う。

オスカーはエリと離れたくない一心で「ずっと一緒にいる」と泣く。エリはオスカーに「約束をやぶってきた人間たち」になってほしくなくて「ずっとなんて言わないで」と泣く。ずっと一緒にいられることなんてない。絶対にない。死して結ばれることもない。オスカーの物語に終わりはあるけれど、エリの物語には終わりがない。だから約束はできない。できない約束を、エリは拒む。

そんなエリが、オスカーに差し出した約束がある。「オスカー、約束して。窓を開けて、正しい世界で生きるの」。約束がいかにはかないものかを知っているエリが、心から絞り出した約束だ。今までやぶられつづけて、もううんざりだった約束を、必死に信じてオスカーへ差し出す。窓を開ければ、日の光を浴びれば、エリは生きられない。私と一緒に生きるのではなく、あなたの幸せを生きてくれ、という、エリの心からの願いだったように思う。

けれど、この約束も、完璧には守られなかった。半分しか守られなかったのだ。この約束が半分しか守られなかったのは、ほかでもないエリ自身がした「あなたを必ず助けに行ってあげる」という約束のせいだった。エリは約束通り、窮地に陥ったオスカーを助けに駆けつけた。オスカーを虐げる者を殺した。それはオスカーにとっての「正義」に他ならなかった。自分を必ず助けるという約束をし、それを完璧に守ったエリより正しいものを、オスカーは知らなかった。だからオスカーは「窓を開けて正しい世界で生きる」という約束を半分やぶった。エリと生きる限り「窓を開けて生きる」ことはできない。けれど、エリがオスカーにとっての正義なのだとしたら、エリと生きることは「正しい世界で生きる」こととイコールだ。オスカーは「窓を開けて」という約束はやぶったけれど、「正しい世界で生きて」という約束は守った。

エリは約束をやぶられてしまったことにもなるけれど、約束を守ってもらったことにもなる。けれどエリにとって、オスカーが約束をやぶったか、守ったかということは、もう関係なかったのかもしれない。オスカーといられることの喜びが、血まみれの顔に満ちていた。

ナンセンスだと思いつつも、彼らが普通に出会い、普通に恋をして、「ずっと一緒にいようね」と約束してはしゃぎ合っているところを夢見てしまう。そんな馬鹿げた空想は、ラストシーンのモールス信号にすべてかき消されてしまうのだけれど。あんなにまぶしく光に満ちた瞬間を私は見たことがない。あれが救済でなければ、あれが幸福でなければ、何がその代わりになるのだろう。

小瀧望を導く光

千秋楽をむかえて、外部舞台に初出演、初主演というチャレンジを果敢に成し遂げた小瀧望くんに、惜しみなくねぎらいの言葉をかけたい。おそらく、彼の周囲の人間はそうするだろうから。小瀧くんはいつもの頬をぷくっとさせた笑顔で、お礼を言うだろう。

この舞台でオスカーを演じる前でも、小瀧望という人間の心に、きっとオスカーがいたはずだ。というより、誰の心にもオスカーはいる。自分がよりどころにする「正しさ」を求め、自分の居場所を求める少年は、誰の心にもいる。それはあまりのぞき見られたくない、心のナイーブな部分に潜んでいるものなのではないかと思う。それを引きずり出して自分と重ねることなど、誰も望んでしたくなどないだろう。

小瀧くんは、それをやってのけた。からっぽな少年を、正しさと居場所を求めてさまよう少年を、ぴったり自分の身体に重ねてみせた。それができるのは、ピュアで度胸のある人間だけだ。自分の心のナイーブな部分を、純度を保ったまま引っ張り出す。自分の心の鏡にうつして、自分の体でトレースして表現する。そしてそれを思い切り観客の前にさらす。そんなことがどうしてできてしまうのだろう。彼には才能がある。才能があり、それを十分に活かすチャンスを与えられている。それがどれだけ稀で、美しいことか。

小瀧望がオスカーを演じることは、二度とないかもしれない。けれど、彼はこれからオスカーの人生のひとかけらを抱いたまま生きていく。その途中で、ふいにオスカーや、エリ、ほかの登場人物のことを思い出すことがあるだろう。それは降り出した雪を見たときかもしれないし、正しさに迷ったときかもしれない。外国のお菓子を頬張ったときかもしれないし、愛する人を抱きしめたときかもしれない。そのとき彼が何を感じるかは、誰にもわからない。オスカーを演じきった小瀧くんだけに与えられた、特別な贈り物だ。きっとその贈り物が、彼を導く光の一つになる。




以上です。小瀧くん、水上さんをはじめとしたキャストのみなさん、スタッフのみなさん、ほんとうにお疲れ様でした。素敵な舞台をありがとうございました。私も正しい世界で、がんばろうと思います。