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こみねもすなるだいありー

全然何にも怖くない

もうゆるく挫折したくない

今まで「ゆるい挫折」を何回も味わってきた。「手痛い挫折」を、無意識のうちに回避して生きてきた。

今思い出せるなかで初めての「ゆるい挫折」は、習っていたダンススクールでのことだった。私はそんなにうまくなかった。自分なりに努力してうまくなろうとしたけれど、なかなかうまくならなかった。私は言い訳をした。住んでいる場所がスクールから遠かったので、受けられるレッスンの数に限りがある、だから仕方ないと。それに加えて体形が醜いので、だめなんだろうと。真ん中に私が立ったら確実に晒し者だから、これでいいのだと思い続けた。今思えばもっと一回のレッスンに集中すれば技術は磨けたし、体形はある程度どうにでもなった。どうにかしなかった自分がいけなかったけれど、私はどうにかしようとはしなかった。そのまま、必死で努力することなく、ゆるく挫折した。

大学進学も「ゆるい挫折」だったと思う。この大学に行きたいな、というところがあったけれど、普通にしていれば受からなかった。かなり頑張る必要があった。私はそこでかなり頑張るよりも、少しランクを下げた大学を「第一志望」だということで、自分の自尊心を保とうとした。志望校はここだけど、一応挑戦校としてこの大学も受けてみるよ?みたいなしれっとした態度で、本当の第一志望を受けた。勉強は、自分なりに頑張ったつもりだった。けれど、その頑張りは「自分なり」のものでしかなくて、見事に滑った。試験会場に足を踏み入れた時点で、「あ、これは落ちるな」とすぐわかった。私は「志望校」だということにしていた第二志望の大学に進学した。今、電車の中吊り広告で、当時第一志望にしていた大学の広告をよく見る。そのたびに、口の中が苦い。「ゆるい挫折」を自覚する。

そのほか、ゆるい挫折は色々あった。「いいな」という人にぶつかっていく勇気もなかった。気持ちを伝えずにたくさんの人と会わなくなった。こうしたい、と思ったけれど、本気になって手痛く挫折するのが嫌で、何だかんだ回避して、言い訳のクッションをいっぱい積み上げて、ゆるい挫折として処理してきた。

最近、ちょっとした人生の岐路みたいなものに立って、自分がそういう22年を生きていたことを無理矢理直視した。中身のない人生だったかもしれないと思う。懸命に生きてきた「つもり」だったのかもしれない。

今、やりたいな、と思うことがある。物心ついてからずっとやりたいなと思っていたことかもしれない。私は今度こそ、ゆるく挫折してはいけない気がする。逃げずに、ハンドルを切らずに、最後まで直進してぶつかってみなければいけない気がする。こんな書き方をすると、ぶつかって玉砕して死ぬみたいな感じがするけど。死にたくないけれど、「これ」をあきらめるなら手痛く挫折するしかないというものが、最後にひとつだけ残った気がする。

逃げることは多分まだできるけど、それをしてしまったら、私はなんで今まで生きてきたんだろう?って自問自答に絞殺される感じがする。
電車に乗ったり、バスに乗ったりして、暗い窓に自分がうつると、最近いつもにらみ合ってしまう。逃げちゃだめだ逃げちゃだめだ、と、往年のアンチヒーローみたいに心の中で唱えてしまう。

もうゆるく挫折したくない。