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こみねもすなるだいありー

全然何にも怖くない

ずっと生きていてほしい

連休、母と祖母が来た。

母は私が京都へ住むようになってから何度か来ていたけれど、祖母が来るのは初めてだった。京都へ来ていなかったというより、祖母はここ最近、旅行等で遠出することは一切していなかった。少し前に倒れたりしていて、体調が心配で控えていたらしい。
祖母は80代後半だ。母と叔母を育てて、5人の孫の面倒もみて、夫である祖父を看取ったあと、ずっと趣味だった手芸や文筆を続けている。わりと機械にも強い。最近、ネットで調べものをすることができるようになったらしい。京都へ来る前日「久しぶりの旅行で、昨日からずっとパニックです」というメールが届いた。

母と祖母を駅へ迎えに行ったあと、祖母がずっと行きたがっていたお寺へ案内した。かなりぴんしゃんしている祖母も、足腰が弱くなっていることは確かなので、なるべくタクシーを使う。杖をつきながら歩く祖母を、私と母で挟んでゆっくりゆっくり歩いた。こんなにゆっくり歩くのは久しぶりだった。時間を気にせず歩くのも久しぶりだった。お寺はどーんとそびえ建っていて、小さい祖母がさらに小さく見えた。彼女はずっと「立派やねぇ、立派やねぇ」と何度も繰り返して、満足そうにうなずいていた。

見つけた小さなお土産屋に入った。祖母はレジ付近に陳列されていた、組み紐を使ったキーホルダーをじっと見ていた。かわいいのあった?と話しかけると「よくできとるねぇ。どねーして作っとるんかねぇ」と、裏に返したり表に返したりしていた。祖母はちんまりしてかわいいマスコットや、手作り風のモチーフを買ったあと、それを観察して「似たようなものを、もっと小さく作る」ということに情熱をかけている。売っていた現物よりもキレイにアレンジして作ってしまうことも多々あった。
祖母はそのキーホルダーを買った。多分年末帰省したときには、祖母が同じキーホルダーを、もっと小さく作っているだろう。

祖母は私が一人暮らしをする部屋にも来た。私がいつも座っている座椅子に座って、部屋をきょろきょろ見まわしていた。「ワンルーム」というものを、多分祖母は見たことがなかった。玄関に入ってすぐあるキッチンに驚いていたし「荷物が少ないねぇ」と驚いていた。私が使っている木製のゴミ箱を見て「ああ、これはいいねぇ。いいものを使っとるねぇ」と、不思議なところを褒めてくれた。

帰りの新幹線に乗る前、京都駅の茶寮でお茶をした。母と私が並んで座って、祖母が向かいに座った。祖母は抹茶と和菓子のセットを頼んで、ゆっくり食べた。他愛もない話を一時間くらいした。三世代だな、と思ったけれど、まぁ他の二人も当たり前にそう思っているだろうと思い言わなかった。私と同じく家族と離れて暮らしている兄の話や、地元の話をしたり、聞いたりしていた。
母が「ばあちゃんもまぁ頑張ったね。ずっと旅行の間歩いとったもんね」とねぎらうと、祖母は笑って「まぁ私なんかは、これが最後の旅行やと思っちょるからねぇ」と呟いた。母も私も、そんなこと……と、首を振った。でも、それはもしかしたら事実になるかもしれない。祖母がいつ体調を崩すか、いつ帰ってこられない旅行に行ってしまうか、母も私もわからない。

新幹線の時間が来た。祖母は別れ際「お世話になりました、元気でね、またね」と言って、私の手を握った。ぎゅうっと握られた。思ったよりも力強く握られて、私はびっくりした。母と祖母が改札を抜ける。エスカレーターに運ばれていくふたりを、私は改札の外から見ていた。母と祖母は揃ってこっちを向いて、手を振った。私は両手を振った。祖母は何度も何度も振り返って手を振った。私も何度も何度も振り返した。母と祖母が見えなくなったあと、ふう、と一息ついて、私は一人暮らしをする部屋へ帰った。

その日の夜、祖母は無事家へ帰りついたらしい。母からのLINEで知った。安心した。

深夜、私が眠りにつく前、祖母からメールが届いた。
「9時過ぎに帰りました。様子がわかり安心しました。面倒かけましたね、感謝しています。もう少し生きてみたいです。有難うさんでした。又ね。おやすみなさい。」

私はなんで泣いているんだろう。祖母にもっと生きてほしい。ずっと生きていてほしい。もう少し生きてみたいと思ってもらえて、とても嬉しかった。


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