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こみねもすなるだいありー

全然何にも怖くない

桐山照史くんが朝ドラにでる。

私が応援しているアイドルの、桐山照史くんが、朝の連続ドラマ『あさが来た』に出演するらしい。

私はそれを知ったとき家にいて、晩御飯を作っていた。鍋のフタを閉めてパソコンでTwitterを眺めたとき、ノベライズ版に出演の告知が出ていたことを知った。
驚いて、部屋に一人なのに声を上げて驚いて、ファンのみなさんの反応を見た。どうやら本当のことらしいと知ったとき、ああよかったよぉ、よかったねぇとまた呟いて、火にかけている鍋のことをしばらく忘れてしまった。そのせいでその日の晩御飯はちょっと焦げた。

しばらくユニットでのコンサートや舞台がなくて、少し寂しい思いをしていた。不満を言うものなんとなく気恥ずかしくて、アイドルも夏休みくらいほしいよね、今までずっと走り続けてきたんだから。少し休んで、また新しいものを見せてくれたらいいよね、と言っていた。
けれど、それはやっぱり私の本心ではなかった。本当は寂しかった。すごく寂しかった。会って、あー生きてるんだな、と実感したかった。
そんな自分の妙にわがままな気持ちに、朝ドラ出演のしらせを目にしたとき、初めて気づいた。

今はどんな形での出演になるのか、まだはっきりとわからないけれど、ちらっとだけ、ということはないだろう。これから告知があったり、関連でメディアへ露出したり、そういうこともあるだろう。とてもうれしい。本当にうれしい。自分のことでないのに、すごくうれしい。

私は照史くんのことを、ちょっと気になる友達か何かだと思っている部分があるのかもしれない。照史くんがテレビで面白いことをしていると、あーバカだなほんとに面白い、と思うし、コンサートで見ると、オイオイかっこいいよどうしよう、と思う。そして今回新しい、それも大きな仕事が決まったとき、思ったことは、「わーーーうれしい!やった!よし!私も頑張るぞ!」だった。

仕事を頑張っている照史くんは、照史くんに限らずアイドルは、私のカンフル剤というか、栄養剤というか。つらいとき、苦しいとき、どうしたらいいんだろうこの先、と思ったとき、「この人たち頑張ってるから、私も頑張ろう、頑張らなくちゃ」と思う。人が頑張っている姿を見ることは、時に辛いけれど、とても刺激になる。口の中ではじけて、ねぼけた甘えた考えが少し醒める。この人たちにお金を払いたいから頑張る、みたいな気持ちもあるのかなと思うけれど、そうじゃない気持ちのほうが大きい。この人たちを見るときに、後ろめたくなったり、ごめんねこんなダメなファンで、と思いたくないという気持ちのほうが強いかもしれない。

照史くんに仕事が決まったから、私も頑張ろうと思う。照史くんが毎日お仕事を頑張っている、売れようと頑張っている結果の結実で大きな仕事を得たのであれば、私もそうありたいと思う。努力して、その結実に何か大きなものを得てみたいと思う。照史くんにふさわしい人間というと、少しニュアンスが違う。今は勝手に追わせてくれ、と思う。勝手に気持ちを乗せさせてくれ。今は引っ張られているけれど、いつか照史くんと関係なく、自分も同じくらいの華やかさと強さで走ってみたい。

アイドルは憧れだ。虚像かもしれないけれど。虚像でも追っていれば走ることができる。追いついた!と思ったとき、それが虚像だと気づいても、走った事実があればそれで間違いないと思う。アイドルなんかに熱をあげるのはやめろと、何にも関係ない人に言われることもある。そういう人は、私が照史くんやアイドルに恋心を抱いているのだと思っている。だから、夢を見るのはやめろと言う。でも、私は立ち止まっているんじゃない。ちゃんと走ってる。自分ではそう思う。照史くんを追いかけて走っているけれど、私が最後に目指しているのは照史くんじゃない。照史くんの向こうにある何かだ。それを、今は照史くんに重ねさせてもらっているだけだ。それに十分、お金を払う価値があると思っているだけだ。

そんな風にぐだぐだと考えることは、本来のアイドルのファンからははずれたことかもしれないし、「いいファン」とはまた別の何かなんだと思うけれど、でもそれが本当の気持ちだ。本当の気持ちはごまかせない。

だから、照史くんに仕事が決まって、うれしかった。自分のことのようにうれしかったのは、私が追いかける対象が、きちんと追いかけるべきものなんだと神様から言われたような気持ちになったから。

でもこんなこと言っといて、お母さんとかお父さんとかおばあちゃんに、「私が応援してる照史くん」を朝ドラで見てもらえるのがうれしいからっていうのも理由のひとつなんですけどね。みんな朝ドラ見てるから。

朝早起きして、照史くんを見て、バイトや学校に行こうと思う。よし今日も追いかけるぞ、と思って、毎日を頑張れる気がする。