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こみねもすなるだいありー

全然何にも怖くない

君はわたしのアイドル。 (アイドル展によせて)

 

アイドルとは何か?と問われたら、少し考えたあと、「誰でもなれるもの」と答えるかもしれない。

 

 昨今のアイドルは多種多様だ。歌って踊る者もいれば、そうでないものもいる。定義はない。この要素がなければアイドルではない、という要素は、おそらくない(定義する人にもよると思うが)。「これがアイドルだ」と言われたら、「(あなたにとっては)それがアイドルか」と納得するしかない。


 正直、言ったもん勝ちという言葉が非常によく当てはまるかもしれない。誰かがアイドルだと言えば、それはもうアイドルなのである。
 だから今、これを読んでいるあなたが「私はアイドルだ!」と堂々と言ったなら、きっとあなたはアイドルになる。自分でそれを信じていれば、あなたは疑いようのないアイドルだ。そう、誰でもアイドルになれるのである。人類皆アイドル。今日から全員アイドル。教室の中、電車の中、仕事場、そこにいるのは皆アイドルである。


 ではなぜ、私はそのような考えを持ちながら、「アイドル」と「そうでない人」を明確に区別できているのだろう。それは、私が「アイドル」と呼ぶ人間たちからは、あるものを受け取っているからである。
 「アイドル」と会う。実際目の前にすることもあるし、液晶越しのこともある。触れられることもあるし、触れられないこともある。彼ら、彼女らを見たとき、胸は高鳴る。疲れていたことを、束の間忘れる。うまくいかなかったことも、この瞬間のためにあったのかもしれないと思う。癒される、とはまた違う。体の隙間に、何かが満ちるような気がする。さぁ、という気持ちになる。


 私が受け取っているのは、おそらく「希望」なのだと思う。希望を受け取り、私はアイドルとの未来を望む。明日へ進むための力が出てくる。彼ら、彼女らの明日を見たいから、私も明日へ行かなくては、と感じる。圧倒的な希望だ。自分ひとりでは生まれることのない、朝日のような感情だ。それを、私はアイドルから受け取っている。それを受け取ることのできる存在が、「アイドル」なのだと感じる。


 アイドルになることは、誰にでもできる。名刺にアイドルと書いてしまえばいい。アイドルだと名乗ってしまえばいい。それで誰でもアイドルになれる。けれども、「誰かにとってのアイドル」であるためには、それだけではいけない。先に述べたような、誰かにとっての希望にならなくてはならない。

 

結局、アイドルとはそういうものなのではないかと思うのである。「誰かにとってのアイドル」であり続けられる人間が、社会における「アイドル」なのだ。

 

アイドルと何か?と問われたら、私は「誰にでもなれるもの」と答える。それは変わらない。けれど、そのあと小さい声で「でも、誰かにとってのアイドルには、簡単にはなれない」と付け加えるだろう。人に希望を与える、明日への力を与える、そういう稀有な原動力を持っている人間を、私はこれからも「私にとってのアイドル」と呼び続けたい。

 

 

(「アイドル展」(https://twitter.com/idol_ten)にお送りさせていただいた文章です。一部加筆修正してあります。)