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こみねもすなるだいありー

全然何にも怖くない

神様どこにいるの

 

ぬいぐるみを逆さまにして、ガラス玉の目と向き合った。

 

寝癖のついたわたしの顔がうつってる。パジャマにすっぴん。気の抜けた朝。金魚鉢の中はからっぽ。どこにもいけない気分。

 

小さなテレビに光を入れる。枕元の櫛で髪をとかしつつ、朝の情報番組を見る。愉快なテーマソングに乗せて、謎のイメージキャラクターが踊りだす。おなかがすいた。のどもかわいた。トイレに行きたい。だけどわたしは、テレビをじっと見ていた。

 

あなたは一途だよね、と、いろんな人に言われる。

 

何においてそう言われているのかは定かではないけれど、言われる要素はほとんどひとつしかない。彼に対しての愛。彼に対しての忠誠。わたしを構成しているものの全てがそれで成り立っている。他の人はどうでもいい。わたし自身のこともどうでもいい。彼だけがわたしの愛。わたしの一番大事なピース。外されたらわたしはどうなるんだろうって、そういうピース。

ええ、わたしは一途です。いちず。そういう三文字ではいろいろと収まらなくて、わたしはもうこの気持ちに名前をつけることを止めた。途方もない時間と、銀河系みたいな思考回路を凝縮することは不可能。わたしにできなければ、他のだれにもできない。もちろん彼にも。

わたしは彼にかしずく。彼が王子様であるならば、わたしはお姫様なんかじゃなく従者だ。踏みつけにされ、彼の靴の泥で汚されることが仕事の従者。言いつけには全て従う。生まれたときからそれを義務付けられて、それによって苦痛も快感も味わうことは許されていない。そういう存在だっていう、それだけの理由で、わたしはやすやすと全てを受け入れる。

そういう自分が好きだ。人間でいられる。いくら働いてお金を稼いでも、偉い人に褒められても、立派な服やバッグを買っても、決して満たされなかった「人間になりたい」という気持ちが、彼にかしずいている瞬間だけは溢れるほど満たされる。消毒液のプールに浸っているような気持ちになる。

 

それだけ。わたしは彼の、……なんでもなくて……。

 

 

冷たい床に足を下ろす。テレビの中にあなたがいる。あなたが笑っている。新聞紙のど真ん中。ピンク色のハートが散りばめられた、インクの砂場の上で、あなた笑ってる。誰なんだろう、このあなたは。どこのあなたなんだろう。どうしてわたしが知らない人と、結ばれたりしているんだろう。

 

愛、という文字が踊っている。熱い愛と書いて、熱愛。愛とは?わたしは髪をとかす。櫛に絡まる自分の髪の毛が、わたしを絡め取るかのように見えた。

外で空き容器の転がる音がする。

 

ヘンなエメラルドグリーンのスーツを着た女が、わたしにマイクを向ける。このニュースを耳にした渋谷の女性たちに取材をしてみました!ご結婚間近との噂もありますが、いかがですか?エーッシラナカッタデス、ホントナンデスカ?ワタシチョットファンダッタノニ、ナンカカナシイデスゥ。

 

髪の毛がどんどんほどけていく。時計の針が進む。ああ、行かなくちゃ。会社へ行かなくちゃ。着替えて、化粧をして、電車に乗って……。

 

 

わたしに何もかもがないことを、わたしはちゃんと理解している。それが運命だからだ。生まれる前からずっと決まっていた運命。わたしがどうしたって変えられようのないことだ。だから彼にかしずいているし、自分のことをダメな人間だと思っているし、それを救ってくれるのは彼しかいない。どこにいても彼のことを考えているし、生きる意味はそれしかない。彼だけがわたしを人間たらしめてくれる。それがわたしの運命。わたしに刻まれたこと。

だからもう、幸せな人間になろうなどとは、ちっとも思っていなかった。人間になれただけでも充分な何かを得ているのに、そこからまたどこかへ行こうなどとは考えていなかった。だからわたしは堂々と足踏みをし、堂々と不幸になれた。彼のために。わたしのために。

 

彼はわたしをおいてどこまでも行く。愛する人のもとに。何万人もの愛の前に。歩いただけで人が倒れるような有様の中、彼は美しい熱帯魚のように泳ぐ。長いヒレを泳がせて、世界を渡り歩いていく。人たちを虜にしながら。至高だ。すべてが。

 

だからわたし、彼が、……なんでもない。

 

テレビはずっと流れ続ける。彼はもうどこにもいない。髪の毛をとかす。もうほつれも乱れもない。ただ流れていくひとすじの黒い川。殺された子供のニュースがはじまる。

 

わたし、どこに行きたかったんだっけ。何も求めていないようなふりをして、いつだって何かを求めてた。愛は痛い。見返りがなければ、きっと誰だって狂う。間違っていないことばかりで息がつまる。不幸だって哀れみだって全部飲めるけど、ひとつだけ飲めない。あなたのしあわせだけ、のめない。

 

全部捨てたっていいくらいの天気だ。

 

立ち上がって、洗面所で顔を洗う。びしょぬれの顔と向き合う。鏡の中で笑ってる。知らない人。ばらばらになる。いろんな過去が。

家を出て電車に乗って、くだらない仕事をしてくだらないことで叱られて、そんなことをしていればきっと時間はすぐ過ぎるだろう。何年も、何年も、早送りできる。心をつぶして、また人間でなくなればいい。彼がそれを選ぶよう言ったのだから。わたしはそれに従わなければ。

 

わたしは、彼の、…………なんでもない。

 

音がする。砂嵐の中に響く機械音。大丈夫、わたし、ちっとも怖くない。救ってなんてほしくない。誰にも。神様、どこにいるの。ちゃんと見捨ててください。きっかり残りの人生分、命をはかって。

 

エーッシラナカッタデス、ホントナンデスカ?ワタシチョットファンダッタノニ、ナンカカナシイデスゥ。エーッシラナカッタデス、ホントナンデスカ?ワタシチョットファンダッタノニ、ナンカカナシイデスゥ。

 

 

 

 

 

 

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