こみねもすなるだいありー

全然何にも怖くない

桐山照史くんにおっこちたときのはなし

 

1月6日、初めてジャニーズWESTの「コンサート」を見に行った日、会場の外、ごった返す人の中で揉まれながら、わたしはぽつぽつ歩いていた。泣いてぼろぼろになった顔で歩いていた。

すごく楽しかったのに、ものすごくすてきなコンサートだったのに、全部忘れる勢いで、なんか絶望していた。好きになってしまった。

 

 

桐山照史くんのことは、小学生のころから知っていて(個人的第一次ジャニオタ期)、でもぜんぜん好きじゃなかった。

むしろあんまり好きじゃない、どっちかというときらい…くらいだった。うるさいなぁと思ってたし、今思えば一生懸命に頑張ってた姿が、なんか面倒くさそうに見えて嫌いだった。コンサートのバックで踊ってるのもぜんぜん見たくなかったし、少年倶楽部とかに出てても飛ばしちゃったりしてた。

だからわたしは、昔の照史くんのことをほとんどまともに知らない。直視したことがない。なんか怖かった。頑張ってる、ギラギラした感じが怖かった。今になって、あああのときほんとに頑張っていたんだな、もっと見ておけばよかったな、って思う。

 

時間が経って、2014年はじめごろから、またジャニーズを追いかけはじめた。雑誌を買って、CDを買い始めた。なんでだか、そこにジャニーズWESTもいた。わたしはデビューを目前に控えた彼らに興味を持って、少しずつ過去を思い出したり、探ったり、今の彼らのことばを読んだりした。そこに照史くんもいた。「ジャニーズWEST」の一員として。

そのころのわたしは、「桐山照史」が好き、というより、「ジャニーズWEST」が好きだった。だれも特別ではなかった。みんなが好き。7人が好き。

 

だから一発めぇコンサートの日も、会場に入るまで、誰かのうちわを買いたいなぁ、誰のうちわを買おうかなぁ、なんて考えていた。特別な誰かひとりはいなくて、ただ「目撃者」としてコンサートを楽しめればいいなと思っていた。単純に楽しみだった。

 

 

 

だけど開演してから、すぐ、ガーーーンと頭を殴られたみたいに感じて呆然とした。

 

照史くんがかっこいい。なんでかわかんないけどかっこいい。なんかいつもと違う感じがする。

照史くんがいつもと違ったのか、わたしがいつもと違ったのかわかんないけど、わたしは強烈に照史くんに目を惹かれた。わりと、照史くんしか見てなかった。びっくりした。いつもそんなことはなかった。いつもはみんなのことをまんべんなくみて、まんべんなく楽しむことができた。でも、いつもどおりができなかった。

笑顔がすてき。歩き方がすてき。興奮してちょっと飛んだ発言がすてき。優しい顔がすてき。なんで?こんなにかっこよかったっけ?かっこいいとは、ちょっと違う感じもする。ビリビリくるような、喉になにかひっかかったような、思わず泣き出しそうになる感じがする。

 

うまくことばにできなくて、双眼鏡をのぞくたび、ほんとにひたすら「好き」「かっこいい」しか言えなかった。「好き」が致死量いっぱいになって、初めて知覚したような感じだった。ちゃんとまっすぐ見ていれば、もっとはやく照史くんのことを好きになれていたのかもしれないと思うと、悔しかったし悲しかった。

 

でも今好きになってしまった。突然好きになってしまった。大阪城ホールでライトを浴びる照史くんのことを見て、わたしの好きの瞬間風速は、過去最高をぶっちぎった。たぶんあの瞬間、今まで好きになった誰よりも、わたしは照史くんのことを好きだった。瞬間の好きの振り子が、そんな風に振れたことにびっくりした。

 

 

 

あの日、照史くんにおっこちそうになったとき、わたしは照史くんの「がんばるんやで」ということばで、淵にひっかかっていた手を意図的に離した。離して落ちた。

 

「何があってもがんばるんやで」と、照史くんは言った。コンサートのなかで。びっくりした。その一言が、いきなりぽろっと落としたようなことばだったから。その瞬間、わたしは自分の抱えているやらなければならないこと、やってみたいこと、やりたくないこと、いろんなことをぶわっとフラッシュバックみたいに思い出した。夢の世界から引き戻されるように思い出した。

 

せっかく夢を見ていたのに、と、うらめしい気持ちになるかと思ったけれど、ならなかった。きれいなキラキラの夢の世界が、照史くんの手によってぴーっと裂かれて、その隙間から、いろんな色が混ざって真っ黒になった現実が顔を出した。照史くんは夢の世界からひょいっと現実の中に飛び込んで、大きく手を振ってくれた。そのしぐさは、夢の世界にバイバイするようでもあったし、わたしに手招きするようでもあった。わたしは真っ黒な現実の世界で生きなきゃいけなかったことを、ふと思い出して、その中にわたしを呼び戻す照史くんのことを、なんだかとてもとうといものだと感じた。

 

「何があってもがんばれ」とファンに伝えるということは、自分にも、照史くん自身にも、「何があってもがんばる」覚悟があるっていうことだ。少なくともわたしはそう思った。照史くんはファンの「何があってもがんばるきもち」の片棒を、おれたちが担いでやると、そう言っているんだと感じた。すごい人だと思った。疑いようのない人だと感じた。信じてみたくなった。追いかけてみたくなった。「担当」と呼ぶなら彼がいいな、と初めて思った。

 

 

わたしは照史くんが「何があってもがんばって」きた過去を知らない。ほとんどなにも知らない。がんばってたんだろうなぁ、ということしか知らない。なにも目の当たりにしていないし、なにも胸に刺せなかった。過去を知らないということは、蓄積したなにかもないということ。地層のように重なった思い出とか、好きなきもちとか、そういうものがないということ。過去の照史くんに「興味がないもの」として目を向けなかった人間だということ。わたしはすごく後悔した。もっと早く照史くんを好きになっていればよかった。

「なんにも知らないくせに」と言われるのが怖いし、後ろめたい。今も。好きに強さや時間の長さは関係ないといくら言われても、わたしは記憶や思い出の輝きにひたすら下を向いてしまう。

 

それでも照史くんが好きだ。今はそれが全部だ。

 

 

 

1月6日、夜、わたしは泣き顔のままで、もみくちゃになりながら街のあかりをみていた。女の子がたくさん。そのたくさんの子が、好きな人に会うためにやってきている。わたしは手ぶらで来て、帰りはものすごく重たい「好き」の気持ちを抱えて帰ることになった。「がんばるんやで」ということばが、ずっと身体の中を駆け巡っていた。ずっと消えない。

 

まだあそこにいるのかなぁ、と思って、人に流されつつ、ホールの写真を撮った。暗い中、光の点くホールは、スマホのウインドウの中でぶれて残った。この日のことは、たぶんしばらく忘れられないんだろうなぁと思う。

 

 

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