こみねもすなるだいありー

全然何にも怖くない

お葬式

昨日、祝日で1日休めることにほくほくしながら帰宅したら、父に「葬式に行ってくれ」と頼まれた。遠縁のおじいさんが亡くなって葬儀に出席しなければならないが、明日はどうしても外せない用事がある。あいにく母も旅行中でいないので、こみねが行ってくれないか?とのことだった。こういうのは誰が行くかとかではなくて、家からきちんと誰か出席する、というものなので、あまり気にしないでいいと。私はそのおじいさんのことを知らなかった。親戚筋の苗字だったけれど、会ったこともなければ顔も知らなかった。父はお世話になっていたらしい。通夜には父が出席し、葬儀は私が代理で出席することになった。旅行中の母に喪服を借りて、朝から行ってきた。

葬儀は、私の父方の祖母と、母方の祖父の葬儀に出席したことがあり、そのときと同じ式場だった。町に一つしか式場と火葬場がないので、当たり前と言えば当たり前。親族席の一番端に座り、促されるまま焼香をして、心配して優しくしてくれる知らないおばさんの近くにいた。

私の知らないおじいさんの、笑顔の写真が祭壇に飾られていた。娘さんがたくさんいる人だったようで、お孫さんもたくさんいた。制服を着ている高校生の男の子もいれば、最近働きだしたというような若い女の子もいた。一番小さなお孫さんは来年の春から小学生になるらしく、とてもかわいらしい女の子だった。ランドセルは赤色にするらしい。ピンクじゃなくていいの?とおばさんに聞かれていた。

私は、自分の祖父と祖母の葬儀を思い出していた。祖父は小学5年生のとき、祖母は高校3年生のときに死んだ。祖父のときは、放課後学校に連絡があり、両親が車で迎えに来て、制服のまま祖父の顔を見に行った。祖母のときは、もう17、8歳だったし、家族が祖母の介護をしていたので、危ない状況だということは分かっていた。早朝両親に「危ないから行こう」と起こされ、そのまま学校へ行けるよう制服を着て病院へ行き、祖母の死に際をみんなで看取った。そういう、死ぬ間際や、死んですぐのことは覚えているのに、葬儀のことはなぜかあまり覚えていない。どんな風だったかとか、家族がどんな顔をしていたかとか。

お念仏が終わり、棺の中に花を手向けるというとき、赤色のランドセルに決めた小さい女の子が泣きだした。おじいちゃんおじいちゃんと言って泣いていて、思わず胸が詰まった。式が始まるまでは特になんともなく過ごしていたお孫さんたちも、みんなぽろぽろ泣きだした。みんなおじいさんとの思い出が色々あるんだろうと思う。

おじいさんがお骨になる間、お斎にも呼んでもらった。なかなか所在が無くてどうしようと思ったけれど、ご親族の方に「来てくれてありがとう」とおもてなしをしていただいて、ちょっとホッとした。さっき心配になるほど泣いていた女の子は、お子様ランチを食べてニコニコしていたので安心した。お小遣いをもらったようだった。

私が祖父や祖母に「こんなによくしてもらった」と思うことはたくさんある。でも、その「こんなに」を具体的には書き表せない。金銭的な援助はもちろんしてもらったと思うし、面倒もたくさん見てもらった。私本人は、それが具体的にどんなことだったのか知ろうとも思わなかった。ただ受け取って、祖父や祖母とお別れしただけだった。それを少し後悔していた。
けれど葬儀の間、泣いているお孫さんたちを見て、それでよかったのかもしれないなぁと思った。「優しくしてもらった」という、ただそれだけの漠然とした記憶だけれど、それは本当に、望んでも得られない記憶だと思う。漠然としているからこそ、忘れがたい記憶だと思う。その記憶を、私くらいの歳になったときハッと鮮明に思い出したりして、ちょっと切なくなって、それで十分なのかもしれない。祖父や祖母も、それ以上は何も望んでいないのかもしれない。

最後にお土産とお花をいただいて帰宅した。母の喪服は超絶肩パットが入っていたようで、帰って鏡を見たら自分がロボットみたいで笑った。勉強になった。色々思い出せてよかった。でもやっぱり疲れたので、夕方までしばらく眠った。

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恋の話ができる人

高校2年生から3年生の間はクラスが変わらなかった。進学先等で振り分けられ、私の所属していたクラスは男子2:女子1の少人数クラスで、女子生徒は両手で数えられる人数しかいなかった。「一緒にお弁当食べよう」みたいなやりとりにハラハラしたのは、その時が初めてだった。私は見事に仲良しにあぶれて、華やかでかわいい、学校の人気者だった女の子2人になぜかくっついてお弁当を食べていた。なぜそういうことになったのかわからないし、お弁当を食べている間何を話していたかも全然覚えていない。私が「一緒に食べていい?」って言ったのかもしれない。彼女たちにそう聞いたとき、緊張しすぎて記憶から消えたのかもしれない。

ゆるいクラスの私たちは、色んな教科が「受けても受けなくていいよ」という扱いになっていた。数学はⅠ、A、Ⅱまでは他のクラスと同じように受けたけど、Bから先は授業がなかった。倫理の授業は、代わりに家庭科の授業を受けてもよかった。私は他の生徒たちが倫理を学んでいる間、家庭科の授業で創作ケーキを考えたり、中庭で七輪を使ってカレーを煮たりしていたため、こんなに倫理観に欠けた大人になってしまった。
地歴公民教科はどれか1教科を選択して履修すればよくて、私は適当に世界史を選択した。クラス分けされた様子を見ると、世界史を選択したのは、私と、一緒にお弁当を食べていた彼女たち2人と、全部で3人だった。他の子たちはみんな日本史。私と彼女らは、地歴公民の時間になると3人で教室を移動し、先生1対生徒3で授業を受けることになった。

世界史の授業はテキストを中心にしたベーシックなものだったけど、私以外の女の子たちの受験が終わると、授業のやり方は少し変わった。卒業ギリギリまで大学入試を受けていた私と先生がマンツーマンで苦手つぶしをし、他の2人は隣の教室で、世界史名場面をまとめたビデオを鑑賞する。先生は隣の教室を見にいったりするわけではないので、2人はビデオが流れている教室でケータイをいじったり、おしゃべりをしたりしていたみたいだった。

ある日、片方の女の子が学校を休んだ。確か体調不良だったと思う。先生もその日は出張か何かで不在で、私と、もう片方の女の子2人で自習をしているようにと担任教員に言われた。私とその女の子は、2人でえっちらおっちらと階段を上って教室移動をし、ガランとして寒い教室で、とりあえずノートと教科書を広げて座った。

この時間をどうしたらいいか戸惑った。

特に共通の話題があるわけでもない。クラスの話も特にすることがない。そんなとき、その女の子が「私の彼氏がさぁ」と口を開いた。
彼女に彼氏がいた(なんかこんがらがる書き方)ことは知っていたけど、そういう話をしたことはなかった。彼氏の話を聞きたい!と思ったこともなかった。ただ住む世界が違うという月並みな表現ばかりが机の上に散らばっていて、彼女たちと向き合うと全然うまく話せなかった。そんな風に思っていた私は、いきなり「彼氏がさ」と口火を切られて混乱した。彼氏の話を私にするんですか?私に彼氏の話をしてもいいと思ったんですか?

彼女は、最近起こった彼氏との出来事を話して、彼氏のちんぷんかんぷんな振る舞いを私に愚痴った。「へ、へぇ」「大変だね」と相槌を打つのが精いっぱいだった。私は混乱して困惑して答えに窮してはいたけれど、それと同じくらい舞い上がっていた。

私、恋の話ができる人だと認識されているんだ、と思った。彼女にとっては「彼氏の話をできる人」のハードルが低く、私にとって「彼氏の話をできる人」のハードルが高かっただけかもしれないけれど、私は彼女がひたすら話す彼氏の話を、特別な何かとして聞いていた。私、人の彼氏の話聞いてる。私、今人の彼氏の話聞いてるんだ。彼氏の話できる人って思われてるんだ。

高校在学中、私に浮いた話は全くなかったし、彼女もそれを知っていたと思う。私はダサくてパッとしない高校生で、明るくてあか抜けている彼女とどう接していいかわからなかった。あか抜けている人コンプレックスだった。彼女たち2人の前に座っていると、本当に3歳児のように困り果てるのだった。彼女の彼氏の話を聞いているのは、何か特別な呪文を聞いているようだったし、このシチュエーションを他人に知られなくないと思った。彼氏の話をされただけで感動している自分を、人に見られたくなかった。でも本当に、何か感動してしまっていた。

彼女は多分このことを忘れているだろうし、卒業して何年も経っているのにこの瞬間を覚えている私の方がヘンな気がする。あの一時間死ぬほどドキドキして、それこそ人に告白されたときのドキドキはこんな感じだろうかとも思った。

最近Facebook経由で、そのときの彼女が結婚したことを知った。
当時私に話してくれた彼との結婚かどうかはわからないけれど、「ああ」と思った。ああ、彼女は23歳で結婚するだろうなと、すごく腑に落ちた。彼女が「地毛ですよ」と言い通していた茶色の髪を思い出したのと一緒に、あの2人だけの世界史の授業を思い出して、なんだか書きたくなってしまったっていう、それだけなのである。

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車を買わねばならなくなって

大学を卒業して地元へ帰ってきた。
地元で就職するつもりではなかったけれど、諸々が重なり、地元の職場で働くことになった。私は地元へは帰らないから免許は取らなくて大丈夫っしょ~お金もったいないし~と、大学在学中に運転免許を取っていなかった。地元では車がないと始まらない。仕事へ行くのにも、徒歩はもちろん自転車でもちょっと厳しい距離。電車やバスは通勤に使える時間帯のものはない。毎日家族に送り迎えしてもらうわけにもいかず、働き始めてすぐ自動車教習所に通うことになった。もちろん「自分の車を買う」ということが大前提で。

終業後すぐ教習所へ行き、夜まで授業や教習を受けるのはじわじわとつらかった。つらい私を笑いたい人はこちらを読むといいと思う。↓

自動車教習がつらいことを誰か聞いてくれ - こみねもすなるだいありー

7月末やっと免許を取得して、晴れてドライバーの仲間入りとなった。

免許が取れたらハイ次、という感じで、どの車に乗るのか早く決めなさいね、と両親にせかされた。免許を持っているだけで概念上の車を運転して仕事へ行けるわけではないから当たり前だ。母と父はそれぞれ一台ずつ車を所有しているけれど、それぞれ働いているため日中私に車を貸せない。1人1台車があるのが当たり前なのは、田舎あるあるのあるある中のあるある。

率直に言うと、私は車なんて欲しくなかった。先述したブログで力いっぱい書いたとおり、私は車の運転が好きではなかったし、そもそも車が欲しい! と思ったことは人生で一度もなかった。

嫌々ながらも、車探しを始めた。まずは中古車から見て回ることにして、週末はカーディーラーや中古車販売店を巡った。私は値段しか見ていなかった。これは30万、これは100万、これは……といった具合に、自分が好きなデザインかどうか、乗りやすさはどうかなどには、全くピントを合わせなかった。合わせたくなかった。そもそも車を買うことで、田舎に屈服(なんてダサイ表現なんだとは思うけれど、それ以外に適当な言葉が見当たらない)するのが本当に嫌だった。
私は5分おきに滑り込んでくる通勤電車で毎朝仕事へ行きたかった。ストレス指数が振り切れていようがそんなのはどうでもよかった。ここに帰ってきたくなかった気持ちが爆発して、車を選ぶために時間を使うのが本当に苦痛で仕方がなかった。

父がお世話になっているカーディーラーさんに会うことになり、その日もどんよりしながら店舗へ行った。どの車を見ても、欲しいと思えない。父が展示中の車を見たいというので、商談スペースに私とディーラーさんだけが残った。

「どんな車にしたいですか?乗りやすいのは軽自動車ですか?」ディーラーさんがカタログを指して色々と説明をしてくれるけれど、生返事と相槌しか返せない。出されたホットコーヒーを苦し紛れに飲みつつ、早くお父さん帰ってこないかなぁと思っていた。1人では場が持たない。

ディーラーさんが、ふと「あんまり車、欲しくないですか?」とつぶやいた。グサッと刺さり、思わず「はい」と言ってしまった。「車に興味がないですし、車にも乗りたくないです」と言ってしまうと、なんだかスッキリした気持ちにすらなった。

「車は車じゃないですよ。車はね、部屋だから」ディーラーさんが言った。

「車は移動手段ですけど、それだけじゃなくて、自分が好きに使える部屋でもあるんですよ。例えば1人になりたいとき、ご実家だと難しいでしょ?このあたりだと喫茶店も少ないし。そういうとき、車に乗ればいいんですよ。車に乗れば、1人になれますよ」

父が帰ってきて、その話はそこでおしまいになった。私はその話をもっともっと聞いていたかった。
実家へ帰ってきて、1人になりたい瞬間はたくさんあった。そのたびどうしようもなく居場所がなくて、家族のことは好きなのに怒りを冷ませず悲しかった。せめて1人で音楽を聞いたり、人目を気にせず泣いたりできる場所が欲しかった。それが車なんて思いもしなかった。全然興味のなかった車を、初めて「欲しい」と思った。

絶対にこの人から車を買おうと決めた。


それからは、比較的自分の意志を持って車選びができたんじゃないかと思う。とにかく「車の中にいて心地いいかどうか」と「自分の身の丈にあった車か」というポイントを大事にした。一括で自動車を買えるほどの貯蓄がなかったので、月々支払いをしていくことになる。なければ生活できないものだから、ずっと手放さずにすむ方法を相談した。

悩んだ結果、白い軽自動車を新車で購入した。人生で一番高い買い物に、ハンコを捺すとき、手汗がものすごかった。


https://twitter.com/urahara0811/status/785010045226319872

↑納車してすぐお祓いに行きました。


まだ乗り始めたばかりだけれど、ディーラーさんが言っていた「車は部屋」というのが、めちゃくちゃ理解できた。とにかく、1人になれる瞬間は車に乗っているときくらいしかないので、静かさが本当に心地いい。車の運転をする緊張感はまだあるけど、エンジンを止めて車の中で座っていると落ち着く。たまに車を駐車場に停めて、しばらく考え事をするようにもなった。

あと当たり前だけれど、好きなときに映画を観に行ったり、図書館へ行けるのがとても嬉しい。ガソリンが入っていて自分の都合さえつけば、好きな時に好きなところへ行ける。

こんなに悩んだ買い物は初めてだった。できれば身軽でいたい。車がなくて生活できるなら、それが一番よかった。今でも車そのものに興味はないし、これから先強い興味を持つこともないだろうと思う。高級車を見て「お高いんでしょう?」と思うことはあっても、乗りたいとは思わないし欲しいとも思わない。

でも、車がなかったら、エンジンを停めたあと、あのシーンとし過ぎて耳鳴りがしそうな静かさは味わえなかっただろうなと思うし、夜運転席で体育座りして宇宙に漂っている空想をすることもなかっただろうなと思う。あってよかったな、と思う自分がなんか悔しい。

週末は、1人でどこかへ行きたい。



それどこ大賞「買い物」
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短歌を好きになって詠み続けているのは瞬間を救ってくれるから

短歌に初めて会ったときの話をここでしていた。

ask.fm

高校二年生の修学旅行は、贅沢にもディズニーランドのオフィシャルホテルに泊まった。オフィシャルホテルじゃなかったかもしれないけど、ランドに近くてとてもきれいなホテルだった。私は高校のクラスに仲の良い子がいなくて、ちょっと派手めな女の子2人組にいつもくっつかせてもらってた。確かディズニーランドかシーか、どちらか好きな方に行っていいよと言われてたんだったと思う。私と女の子2人はディズニーランドへ行ったのだけど、2人はそれぞれ彼氏がディズニーシーへ行っていて、お土産にダッフィーのぬいぐるみを買ってもらってた。それを抱えながら2人がベッドの上で彼氏に電話を始めた(確かホテルの棟が違った)ので、私はいたたまれなくなってホテルの売店へ行き、若い世代の何人かを短歌に叩き込むことに貢献した『ショートソング』という本を買って、その晩1人で読みふけった。読みふけったあと、持ってきていた手帳に短歌を詠んで書きつけた。自分がいいと思った言葉を一生懸命選んで短歌を詠んだ。そのあとの修学旅行の移動中は、ずっとバスと飛行機の中で短歌を詠んでいた。

ショートソング (集英社文庫)

すごくよく覚えている。ホテルはすごくきれいでなんか王宮みたいだったのに、売店だけは古ぼけた街の文具屋さんみたいな雰囲気で、意味わからないお土産(サンゴの指輪みたいな)がたくさん並んでいて、そこに短歌があった。誰もいないロビーで、文庫本の入ったナイロン袋のカサカサいう音がすごい響いた。
私はあの売店が幻だったんじゃないかと今でも思う。

幻の売店で短歌を買って、私は寂しい修学旅行を救ってもらった。

「あっ今寂しいな」と思った瞬間や、「今のすごいよかったな」と思った瞬間を、短歌は救ってくれる気がする。リズムを付けて浮上してくる言葉はいつも一瞬のきらめきで、私はそれを金魚をすくう小さなアミですくいとる。長く語ると薄まりそうなバチッとした一瞬も、小さいハコに収めるとちゃんとした標本になる。一首一首が、瞬間を抽出したお土産になる。
夜中唐突に寂しい瞬間、スマホの画面を開いて、こちょこちょと寂しい気持ちを詠む。怒りが一瞬沸点に達したとき、その気持ちを詠む。外を歩いていて「今のだよ」と思ったとき、手帳を開いて詠む。一瞬の入ったハコがどんどん手に入る。この気持ちをどうしたらいいかわからない、と思ったとき、短歌はそれを救ってくれる。

瞬間を何度も何度も短歌に救ってもらって、やっと高校二年生の冬から6年が経つ。短歌がなかったら、もっと6年は長かっただろうなぁと思う。寂しいときの短歌も、怖いときの短歌も、きれいだと思ったときの短歌も、全部高校二年生の修学旅行の夜に繋がっている。多分この「瞬間を救ってくれる」ものが、他の人にとってはスポーツだったり、ゲームだったり、彼氏だったり、漫画だったりするんだろう。私は短歌だった。それに出会えてよかった。

「面白い」の呪い

「面白い」と思われたい病気なのかもしれないなと思う。何でも病気病気と言ってしまうのは失礼だと思うので「面白いの呪い」とでも言ったほうがいい。ずっと前に「面白いの呪い」にかかって、ずっとそれに気づかなかった。

「面白い」は、ギャグセンスがいいとか、みんなを笑わせるとか、そういうことじゃなくて「誰かの目にとまる」「誰かの心にとまる」「誰かの薬になる」「へぇ、と思われる」とかそういう類の何かだ。私の中ではそうだった。一目置かれたい、というと、なんかまた違う気がする。とにかく、特別な何かだ。「他とは違う」何か。

「面白い人」になりたいわけではなくて、「面白い」を生み出せる環境や知識が欲しい、そのための器官が欲しいと言ったほうが近い気がする。

「面白い」ことを言おうと思って、なぜか一時間も二時間も考えることが度々あった。別に誰に求められたわけでもないし、誰かに「面白い」と思われたところで何の得もない。「面白い」と「その人に興味を持つ」「その人を好ましく思う」とはまた別のことだと思う。随分と疲れた気がする。疲れたのに未だに自分が面白いことを言えないことに焦りとかいらだちを感じる。「面白いことを生み出す器官を持たない私」「面白いを生み出せない私」に価値がなく感じる。面白さに一体どれだけの価値があるのか、考えたけれどわからない。でも「面白くない」ことは悪なのだ、と思ってしまう。辛くばかばかしい。今まで私が生み出したものに「面白い」ものがいくつあったのか。私には判断できない。ボールは受け取る相手が、どんなボールだったかを判断するものでしかない。私が思い切り投げたボールが、他の人にとってふにゃふにゃのボールだったなら、それまででしかない。私がやわらかく投げたボールが、他の人にとって剛速球でとても捕れなかったら、それまででしかない。

何が言いたいのかよくわからない。「面白い」と一緒に死にたくない。

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部品になりたい

仕事を始めて4か月とちょっとが過ぎて、季節が変わった。暑い暑いと思いながら仕事に行っていたのに、今は寒い寒いと思いながら仕事に行っている。

今までの人生で、ずっと「私はこんな仕事はしないだろうなぁ、向いてないだろうなぁ」と思っていた仕事を、今している。特に激しい拒否反応があったわけでもなく、毎日仕事に行くと1日がすごく早く過ぎる。少人数の職場で、父親や母親世代の人と同年代の人がバランスよく働いていて、その全員が同じようなテンションで仕事に臨んでいるのが、落ち着いて働けているポイントかなと思う。知識が足りないので勉強していると、すごく褒められる。それが単純に嬉しい。もっとこの人達のためになりたいと思う。

業務はものすごく手探りで、1日何度も上司や先輩に相談をする。こういうときこうしてもいいですか?こういう件なんですけど、私が対応してもいいですか?これでよかったんでしょうか?やってしまった後で「こうすればもっとよかったのに。今なら普通に思いつくことなのに、なんであの時思いつかなかったんだろう」と落ち込むことが多い。自分の気の回らなさにガーンとなって、あーあとなる。

お客さんに口頭で何かを説明するときも、常に必死で喋っている感じが強い。お客さんに引かれていないか、自分だけが先走っていないか、冷静に考えつつ話をすすめていくのは難しい。どうしたら伝わるかな?と一生懸命考えてはいるけれど、一生懸命なだけでは多分だめだろう。

でもこの間、以前私が対応したお客さんに「あなたがこの間一生懸命話してくれたから、だから決めたのよ」と笑ってもらった。

一生懸命が1番だとは思わないし、業務を完璧にこなすけれど一生懸命じゃない人と、ミスをするけれど一生懸命な人では、私だったら前者の方がいいかなと思う。でも、今は一生懸命しかない。頑張っていますすいません、一生懸命のみです、と顔に張り付けていく。お客さんが笑ってくれて、私はすごく嬉しかった。誰かが、他人が何かを決めるとき、私がその中の部品になっていた。

何かの中にある部品になりたい。「社会の歯車にはなりたくない」というフレーズがあって、私もそんな風に思っていたことがあったけれど、今は「何かの部品になりたい」と思う。別に歯車じゃなくていいし、ネジでもちょうつがいでも、何でもいい。何かの一部の部品として機能したい。その部品としての役割をまっとうできる、ここにこの部品をあてがおう、ちょうどいいから、と選んでもらえる何かになりたい。

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最近の応援スタンスについて

cori0922kw.hatenablog.jp

ちょっと前に拝見して、みなさんが熱く「私はこれがどうしても譲れねぇ!!」というテンションで語っているのがいいなぁと思ったので、私も最近を振り返りつつ書いてみたいと思います。(⌒∇⌒)


◎ 担当:桐山照史くん(ジャニーズWEST

ほどよく脂ののった時期が来るのを年中待ち構えています。絞ってる時期も好きです♡
ジャニーズWEST関連はTwitterのタイムラインで入ってきた情報を頼りに追ってる感じ、他の既デビューグループの話題にはあまりついていけていない……。




○ 雑誌を買う基準

最近雑誌を買うのを止めてしまいました。前は絶対5誌は買って、他紙媒体もインタビューかグラビアが好みなら買っていたのですが、アイドル雑誌は今全然買ってません。
こないだのananとテレガイパーソンはとっても素敵だったので買ったのですが、ある程度「これは!!!!」みたいなテンションにならないと買えない。
単純に自由に使えるお金を他の部分に割くことが増えたので、削れるところを削ろうと思って紙媒体全部を削った感じです。

○ CDを買う基準

全形態できれば予約して買う。今までも全形態買っていたのですが、引っ越しを機にCDを全て手放してしまいました……。今は「人生は素晴らしい」3形態のみが家にあります。
特典ディスクのわちゃわちゃとかが好きでよく見返したくなる。
他グループのCDも、気になったものは通常版をたまに買います。

○ 映像作品を買う基準

コンサート映像作品はCDと同じく予約して買います。ただDVD+BDはお財布に痛すぎるので、BD初回盤のみ。本当はDVDも買って車で流したりしたいんですけど、そのとき余裕があれば考える感じです。
出演したドラマのDVDボックスは買わないです。多分「ドラマを観る」という行為が苦手で、メイキングしか見なくなるのがわかっているので、メイキングだけ売ってくんないかなとか不埒なことを考えています。

○ 現場に行く基準

関西に住んでいた頃はほんとに手あたり次第いろんな現場に行ってました!お友達にお誘いいただいたりしたら、他グループのコンサートや舞台にも。
劇場とかホール、アリーナ、ドームの会場の雰囲気が大好きで、あの匂いとか空気感を楽しみたい。
今後はなかなか現場に頻繁に行くことが難しいと思いますが、自グループのコンサートにはなるべく行きたい。一度は。ツアーなら福岡とか広島とかに一度は行けたらいいなって感じです。
自担の舞台があったら、多分大阪でも東京でも頑張っていくんじゃないかな。

○ 遠征する基準

(1)お金に余裕がある
(2)日程に余裕がある
(3)初日・オーラス

お財布に余裕があって、土日公演で、初日かオーラスだったら、どんなに疲れてても這って新幹線乗っていくと思います。笑
初日かオーラスは、なるべく行ければいいなぁくらいなので、あんまり重要ではないかも。初日オーラスが平日だったりしたらもうこの基準も\(^o^)/オワタ

○ グッズを買う基準

フォトセットと、うちわと、ペンライトは買います。フォトセットはなんかお布施感覚で……。うちわは、うちわ作りの技術が低いので、顔うちわを持つことで「お前のファンだよ!!」とアピールしたい。
ペンライトはやっぱり振ったら楽しいし、会場をなるべくキラキラで埋め尽くしたいので。キラキラの一部になりたい。
今まで色々買ってきたんですが、パンフレットさえ買って開かないことが8割なので、もう買わないぞと思っています。この決意を揺らがすくらいのグッズ待ってる……(´;ω;`)

○ ジャニショで写真を買う基準

ジャニショ=遠征なので、だいぶテンションが上がって散財してしまう。
自担じゃない写真もガンガン買う、素っぽい表情に弱いのかな……なんか気の抜けた顔とか。
自担はちょっとロリっぽい(27歳の男性に使う言葉じゃないのはわかっている)表情とかポージングだとホイホイ買っちゃう。
桐山照史くんをセットで~とかはしない、写真は一回買ったらあんまり見返さないから、これももっと自制するべきだと思っています><



最近自分が「連ドラを毎週見られない」「毎週同じ番組をチェックし続けられない」っていう適当すぎる人間だと気づき全てを頑張れなくなり、めちゃくちゃゆるいオタクになりました。もうそれはそれでいいか……と思った。実は「HOPE」も「あさが来た」もほとんど見ませんでした。ヒルナンデスもほぼ見てない。たまに見る。
なぜか「少年倶楽部」だけは毎週見られる(あのダイジェスト感がいいのかもしれない)ので、少クラだけは毎回録画してチェックしています。大体録画して週末に見ることが多い。司会頑張ってる照史くんカッコイイヨ。