こみねもすなるだいありー

全然何にも怖くない

「どんなに頑張って生きても、死んだら全部終わりじゃん」と「どんなに頑張って生きても、ゴジラが来たら全部終わりじゃん」

TLでワイワイ話題になっていたので気になって、先々週「シン・ゴジラ」を見てきた。一番近くの映画館では上映がなくて、免許取り立ての車で1時間半運転して、母を助手席に乗せて他市にある映画館へ行った。怪獣映画は一度も見たことがないし、監督のファンというわけでもないし、出演者のファンというわけでもない。強いて言えば石原さとみが好き……くらい。「面白いから観ると良いよ」と言われたままに座席に座った。

私はふと「人間どんなに頑張って生きても、どうしようもない事件や事故や天災に巻き込まれて死んだら全部終わりじゃん。じゃあなんで辛い思いをして頑張らなきゃいけないの?意味なくない?」と思うことが多々ある。仕事を頑張っているときや、将来のことを考えているときや、家族と話しているときによく思う。幸せも不幸も一瞬で吹っ飛んでしまうなら、毎日を積み重ねている意味ってなんだ?ただ倫理的に死ねないから、偶然死んでいないから生きているだけなんじゃないのか?と思うし、それは多分間違っていないとも思う。人間に生きる目的はあっても意味はないし、生きているのは今まで偶然死ななかったし、今死ねないから生きているっていうだけだ。

シン・ゴジラ」で超人的に仕事を全うする登場人物たちを見ていると、頭がボーッとなった。生きる意味とか死んだら全部終わりとか、そういうことを考えている人は誰もいないような雰囲気を感じた。でも、それは必死で働いている人たちから発される謎のエネルギー波動のようなもので、死の恐怖や生きる意味を探そうとする悪あがきが、覆い隠されているっていうことなんじゃないかなぁ、と、映画を見終わったトイレでふと思った。きっとみんな死ぬのは怖いし、巻き込まれたら全部終わりだって思っているけど、そういうふにゃふにゃして莫大に大きい不安ではなく、もっと確固たる姿のある、堅牢な建前に従って動いている。だから強く見える。

自分の仕事を全うする、ということは、実態がつかめない恐怖や不安から意図的に視線を逸らす、有効な手段なのかもしれない。

いつか生きていることの全部に意味がなくなるかもしれないけれど、それにピントを合わせて直視していたら、ゴジラがいない世界でも生きていけない。


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たった一人でさまようふたり

自分がどう見られたいか、どう見られることが自然なのか。人に何を求められているのか、それに応えることができるだけの力が自分にあるのか。人生はいつも多面的に何かを見ることが求められ、外からも中からも、気を抜けばすぐ曇り始めるガラスを拭くことに精一杯だ。腕を振り回しながら曇りを拭っていたら、いつの間にか向こう側に、自分と全く似ていない人間がいた。それが中間淳太と、桐山照史だと、たまに思う。

似ても似つかない2人だが、1枚ガラスを隔てて、いつも見つめ合ってきた。思い切り叩けば割れるガラスをあえて割らずに、本当に傷つきやすいところにはふれないでやってきた。そんな印象だ。

もし2人が、ガラスを割って凶器を手に、お互いの急所を抉り出してしまったら、きっと2人ではいられなくなるだろう。そういう荒い手を使うことが正解となる人たちもいるなか、おとぎ話のようなアメリカン・ドリームを背負わされた2人は、ガラス1枚の距離感を、今も大事にしているような気がする。

波乱の青年時代は過ぎ、2人はショービジネスの世界に、5人の仲間と共に漕ぎ出した。彼らの努力は実り、ひとつの区切りとして夢はかなった。もっと違う場所へ、自分が望む場所へ進んでいくための権利が与えられた。終わりがどこかはわからない。どこまで行けるかもわからないけれど、当面走り続けられるだけの時間の猶予を得た。

生身の自分として(役柄を演じる俳優としてではなく、という意味)登場する媒体が多い分、「元B.A.D.」の2人の心情が伝わってくることがある。もっと違う自分を見てほしい。実は自分はこういう人間だ。こんな不安がある。「アイドル」とはこういうものだったか?と私は息が詰まった。28歳と26歳の男性が、無理矢理何かをはぎ取られるような。綺麗につくろった糸を端から切られていくような。もう甘い、ふわふわと綿菓子のような夢を売ることはできないのだ。年齢のせいもあるし、今まで積みあげたキャリアのせいもある。そんなヒリヒリした2人を見ていると、私はふいに、異国の広い広い国道を思い出す。

カンカンに日が照り、砂埃の舞うアスファルトの道。ひび割れに無造作に生える背の高い雑草。通り過ぎていく赤い車やトラック。親指を立てても誰も止まらない。この道のずっと先にある街まで、なんとかたどり着きたい。少しの水とビスケット。歩いていくしかない――。

残酷なまでに自由で、好きにしろと神様から放り出された2人。中間淳太桐山照史という名前を得て、間にガラスを1枚隔てて、他人でもベストフレンドでもない特別な距離感のまま、彼らは目的地を目指す。地図がない。この道をたどるしかないと歩き続ける姿は、さながら遭難だ。それでも、道路の果ての果てにある街には、彼らが生まれながらに探すアメリカン・ドリームが眠っている。だったら行くしかない。偶像を売る行商のトラックを後目に、彼らが持っているのは少しの金貨と紙幣。笑えないほどリアルな旅。でもきっと、理想を求めて生きるとは、元来そういうものだ。本当の自分もわからないまま、しゃにむに歩き続けることだけが、進む人間を救うのだ。

「自分でいることにブレたくない」と言う人間と、「自分のことはわからなくてもいい」と言う人間。彼らが一番目指しているのは、本当の自分を突き止めることではなくて、自分の夢が叶う街へたどり着くことなのかもしれない。街から街へ、肌を焼かれて歩き続ける。手は取り合わず、隣にお互いを感じながら。ロードムービーはまだ序盤だ。これからどんなシナリオが待っているんだろう。金貨とシャンパンの泡にまみれて笑う2人を終盤で見られたら、ファン冥利に尽きる。


TVガイド PERSON VOL.48

TVガイド PERSON VOL.48

花と鳥と風と月と藤井流星

美しい自分との向き合い方というのは、美しくない人間が思っているよりも困難なものなのかもしれない。

朝起きて、鏡の中にいる自分がどこからどう見ても美しく整っているとしたら、どうなってしまうだろうとよく考える。人生楽しいだろう、今まで美しくないことを理由にしなかったことを全部してしまうだろう、と思う反面、私には無理だ、とも思う。美しいがゆえに、ある種の土俵に引っ張り上げられたリ、妙な自意識過剰に陥ったり、そういうことが起こってしまうような気がする。
美しさは罪であるという文脈は、かつてからあるものだ。美しさのせいで国が傾いたり、美しさのせいで人が殺されたり、そういうことが時々起こる。美人薄命、という言葉もある。美しいことは、それを理由に何かを削られていくことなのかもしれない。当事者にしかわからないと言ってしまえばそれまでだけれど。自分と向き合っていくことはとても難しい。平凡な自分と向き合うこともそうだけれど、逆もまた、きっとそうだ。

藤井流星は美しい。カッコイイ、かわいいと、容姿を褒める言葉はたくさんあるが、彼には「美しい」という言葉がとてもよく似合う。彼の鼻筋なんかは「鼻梁」と呼びたくなるし、彼の顔つきは「かんばせ」と呼びたくなる。言葉を尽くして語るに足る。ただ立っているだけでいい。彼は静かに美しい。

彼の美しさは、星が持つそれと似ている。彼の名前に含まれている星は、何も言わず何万年も光り続けている星。彼の美しさは物言わぬ美しさだ。私はそれをとても好ましく思う。彼は自分の美しさと必要以上に向き合わない。必要以上に自覚的にならない。それは先に述べた、「美しい自分との向き合い方」において、一つの正解とも言えるのではないかと思っている。

花鳥風月、という四字熟語が頭の中をよぎる。自然界に存在する美しい風景。花や鳥、風や月。それらのすべてが、自分たちの美しさをまるで知らないようにふるまう。だから私たちはそれを心ゆくまで愛でられる。何も言わずに眺めていられる。藤井流星も、ある部分でそうなのではないかと思う。星は自分の美しさを誇らない。それでも、何万光年先の違う場所へ光を届ける。自分の美しさが人の心を救うことがあると知ったとき、星はどう揺らぐのだろう?彼の名前が流れる星だなんて、できすぎた話だ。運命みたいな話だ。彼はきっと自分の美しさを知って、そして意識から手放したのではないか。22年鏡を見てきて、自分のほかと比べた美しさに自覚的にならないほど、彼は鈍感ではないだろうから。けれど、彼はそれを必要でないぶん手放した。これだけ知っていればいいと、自分だけがお守りにするべき自分だけの美しさだけを、ブローチのように胸に留めたのではないか。それはきっと外面的な美しさを、「美徳」の類で固めた、この世に二つとないブローチだ。

彼は自然と、自分との向き合い方を知っている。それはどこで手に入れた生き方なのか。その答えを、彼の言葉で聞ける日が来たら、嬉しい限りだ。美しさで狂う人もいるけれど、美しさに、まっとうに生きていく力を教わる人もいる。後者がきっと、藤井流星なのだろうと思う。

重岡大毅は強力な空白である

重岡大毅は、さまざまなシンボルに成りうる青年だ。

仕立てがいい真っ白いTシャツのような、徹底的なまでのプレーンさと気取らなさが共存している。そのTシャツをリメイクするように、多くのファンが彼を自分にとってのシンボルとする。若さのシンボル、希望のシンボル。時には彼を狂気のシンボルだと感じたり、混沌のシンボルだと感じる人もいる。鮮やかなペイントが、真っ白いシャツに広がる。どんな絵の具で色を塗っても、どんな刺繍を施しても、重岡大毅はそのうち、ひょいと最初のプレーンな状態に戻ってしまう。歯をこぼれさせて笑っている。

7人組グループのセンターに、彼がおさまっていることは、そういう強さが結びついてのことなのかもしれない。メンバーカラーの赤色を預けられても、その赤色の強いイメージを与えられても、彼は簡単に白に戻れてしまう。白と言うより、透明なのかもしれない。いや、透明という言葉も、彼をカテゴライズしたり、カラーリングしてしまうような気がして、ふさわしくないくらい。カテゴライズされない。カラーリングされない。ラベリングされない。できない。その時その時で必要な色に染まったとしても、必要なラベルを貼ったとしても、どうしてだろう、いつの間にか、すべてが彼の表面から剥がれ落ちて、彼は何にも縛られない、ただの重岡大毅に戻っている。

彼は強力な空白だ。全てを受け入れているように見えて、全てを跳ね返して、はがして、反射している。誰が何を投げ入れても、浴びせても、ブラックホール(ここにブラックという言葉を使うのすらふさわしくない感じがする)のようにそれを掻きとる。重岡大毅という名の強力な空白が、7人組アイドルの真ん中に鎮座している。誰にも止められない。彼がただ彼であることを、ただの重岡大毅であることを、誰も邪魔できない。誰も彼を好き勝手にすることはできない。それが圧倒的なのだ。検索小窓に「重岡 センター」と打ち込むと、「重岡 センター 理由」とサジェストされる。彼は空白だ。だから真ん中にいる。どんなに鮮やかなカラーボールを投げつけられても、何色の服を着ていても、彼に色はない。異質なのだ。だから真ん中にいる。

その強さが、彼を「みんなの重岡大毅」たらしめている。みんなのシンボル。みんなのアイドル。それはフリー素材や無料配布の類ではない。重岡大毅は奪われない。ひとつしかない肉体と精神を、彼は自分のためだけに使う。多くの人のシンボルであることを理解しながら、彼は自分は自分でしかないという事実も理解している。その両方を持つ人が、どれだけ稀有なことか。

田舎町で彼を愛するファンの少女は、彼を憧れる大人のシンボルとしてみるかもしれない。都会で身を削りながら働く大人は、彼を青春のシンボルとしてみるかもしれない。孤独に震えている人間にとって、彼の特徴的な笑顔が、救いのシンボルになるのかもしれない。

彼はシンボルになる。多くの人のまなざしの中で、意識の中で姿を変え、その人にとっての重岡大毅でありつづける。「俺はいつでもここにおるよ」と言える彼の姿は、あなたの目には、どう見えているのだろう。

銃殺されるジャニーズは、いつの世も狂おしい

ジャニーズはたまに曲の中で死ぬ。美しい男が死ぬ姿というのは、多分何か感情を呼び覚ます描写であり、私はこの「曲の中で死ぬジャニーズ楽曲」が結構好きだ。その中でも、特に銃殺が好きだ。特にというか、ジャニーズが曲の中で死ぬとき、銃殺はかなり高い割合で死因になっているんじゃないかと思う。銃殺される男の物語を歌い踊るジャニーズを見ると、その物語とジャニーズがオーバーラップして切なくなる。銃殺されるジャニーズについて語りたい。どこを撃たれて死んだのか、曲によって違いそう。

▽ アンダルシアに憧れて / 近藤真彦

銃殺されるジャニーズ曲の定番。現在は後輩のジャニーズたちも歌番組で歌っては打ち殺されてる。
愛するカルメンとの約束を前に、修羅場に自ら飛び込んでいって銃殺される主人公。元々そっちの筋というか、多分マフィアとかそういう組織の悪い男で、組織のために殺されたといってもいいんじゃないかな。
もうこれ絶対死亡フラグでしょ……第三倉庫に八時半に行っちゃだめでしょ絶対死ぬでしょ……と思うのですが、「ヤバイとわかっていても行かなきゃいけない場所がある」的な思想を感じます。
女の入れない男の世界を描いた曲に思えるんですが、主人公は最後、約束してたカルメンと踊りながら天国へ旅立つんですよね。カルメンがどんな女なのかは「アンダルシアに憧れて薔薇をくわえて地下の酒場で踊ってる」ってことしか説明されてないんですけど、最期にカルメンとアンダルシアの青い空のもとで踊ってるのが泣けます。もしかしたら、このヤマが終わったらカルメンとアンダルシアへ移住する計画でも立てていたのかもしれません。いつかこんな生活を抜け出して、2人でアンダルシアへ行って暮らそうって。そしたらお前、あっちでも薔薇くわえて踊るんだぞって。カルメンは楽しみにしていて、でも「いつ死ぬかもわかんないのに、無責任なこと言わないでよね」って強がるんです。男には裏切られてきたカルメンなので。でもどこかで、この人が最後の人になればいいなって思ってるところもあるんです。だからカルメン、きっといつまでも、男と待ち合わせしていたメトロで待っていると思います。薄いドレスの上にショールを巻いて、手をこすり合わせながら、何時間も何時間も待ち続けていると思います。男が死んでるなんて思わずに。

▽ ベイサイドエレジー / SexyZone

「アンダルシア」とこの曲は、世代の違う同じ街の物語だったらときめきで死ぬな……。個人的には「アンダルシアに憧れて」→「青春アミーゴ」→「ベイサイドエレジー」の順番で、祖父世代、親世代、孫世代なんじゃないかなと思っています。好きな女を置いて組織のために死んだ祖父世代。大事な友人を守れなかった親世代。そして兄弟とも呼べる大事な友人と殺し合ってしまう孫世代。親世代→孫世代の流れがめっちゃ鬱でイイ。守れなかった→守れたじゃなくて、守れなかった→今度は自分の手で殺めたって方向に行くのが最高です。ちなみに「青春アミーゴ」「ベイサイドエレジー」は、どちらも同じ作詞家さん(我らがzopp大先生)が作詞しています。
SexyZoneの中島さん・菊池さん・佐藤さんの3人で歌っているんですが、殺し合う2人と、それを止めようとする1人という構図が曲の中にあります。「やめろよ!」と叫ぶ曲中の台詞が佐藤パートなので、多分佐藤さんが止めようとする1人。ジャニーズが宇宙に誇る「ふまけん」(中島さんと菊池さんのコンビのこと。一言では言い表せない男たちとしてファンが多い)が銃口を向け合うというシチュエーションが、ジャニオタを100人くらい束で殺しそうです。
「俺たちは他人だけど兄弟だった」と思い出を語る2人が、何故殺し合わねばならなくなったのか?というところが最大のオイシイポイントでは。歌詞をじっくり読んでいただくといろいろキーワードが出てきます。「光と影」「はぐれた絆」等々。かつては兄弟と呼びあうほどの盟友だった2人。2人を止めようとする男と合わせた3人で、いわば地元じゃ負け知らず的な存在だったのかも。そのうちお互いに違う道を選ぶようになり、最終的には波止場で決闘。1人が仲裁に駆けこむも間に合わず、血で染まるコンクリート。もう二度と、殺し合う以外のシチュエーションでは3人に戻れなかったのかもしれません。ちなみに単純な歌割りで見ると、追い詰めて殺す側の男のパートを中島さんが、追い詰められて殺される側の男のパートを菊池さんが歌っています。

愛、テキサス / 山下智久

これは「銃殺されるジャニーズ」じゃなくて「大事な友人が自分のせいで銃殺されたジャニーズ」ですね。いきなり趣旨からはずれて申し訳ないんですけど、大好物です。世界観は前の2曲とちょっと趣向が変わって、テキサスの熱い風を感じさせる仕上がりです。俺が死んだのはお前のせいだ、という趣旨の台詞が曲中に挿入されるのですが、ジャニーズ台詞入り曲の中でも五指に入る完成度の台詞だなと思います。ただ私の性癖に刺さっているだけかもしれませんが。
もうすぐ俺結婚するんだ、って話してた男が、自分のせいで死んでしまった。あいつはもう二度と帰ってこない。そんな最悪の過去を背負った男が、人生をなかば捨てながら自暴自棄に撃ちまくる曲なのですが、切ないんっすよねこの曲……。主人公の男は友人を死なせてしまったことで人生めちゃくちゃになったのに、死なせた「あいつ」が頭の中にまだいて、それがどん底の中の希望っていう。「あいつ」は主人公の頭の中で、「撃ちまくれ」ってささやくんです。それにただただ従って銃をぶっ放す。もう捨てるものが何もない主人公は、狂気のガンマンとしてテキサスで名を馳せるのかもしれません。ウゥウッ。お前だって幸せになっていいんだよ……。マスターテキーラもう一杯……。
ちなみにこれは山下智久さんが、所属していたグループを脱退してソロ活動を本格的に始めた一発目のシングルなんですが、これをグループ脱退して1年ちょいの男に歌わせるのすげぇやばくない?と今になって震えます。流浪のガンマンと山下さんの姿が重なって、今でこそハレンチなお坊さん役とかやってる山下さんですが、今でもこの曲を聞くと、君は今幸せかい……?という気持ちになってしまう1曲です。

▽ 恋に落ちたボディーガード / A.B.C-Z

ここまで「男の世界」のために死ぬ、命を捧げる主人公ばかりでしたが、この「恋に落ちたボディーガード」の主人公は、曲中の"君"に命を捧げて銃殺されます。ロマンチックかつハードな世界観がめっちゃ好き。ボディーガードとして雇われた主人公は、"君"を仕事として守るんですが、時間を重ねていくうち、彼女に惹かれて恋をする。ある日彼女はさらわれて、男は自ら罠にかかりに行くようなものだと知りながら彼女を助けに行って、撃たれて死ぬ。彼女の胸に抱かれて死ぬ。すごい悲劇なんですけど、もしかしたらこの4曲の中では一番幸せに銃殺された男なんじゃないかと。ずっとつまらなかった人生が、彼女と出会って変わって、彼女の特別になるためだったら、死んだってよかったから。こいつね~~~~死にかけの自分を抱いて泣いてる彼女のこと見て、泣かないで笑ってよって言えちゃう奴なんですよ~~~!!!!(泣)ここまでする男きっと彼女の前にはもう2度と現れることはないだろうから、彼は彼女の中で、絶対消えない唯一無二の存在になれた。
この曲を歌ってるのがA.B.C-Zっていう事実がすごく良くて、これは多分ジャニーズWESTが歌っても、SexyZoneが歌ってもしっくりこなかっただろうなって思うんですよ。それはジャニーズの各グループにある「女性へのコミットの方法」みたいなものが、この曲に合うかどうかってところにポイントがあって、ここまで愚かに、馬鹿実直に狂気なまでに、好きな女のために死にに行ける男って、今ジャニーズの中ではA.B.C-Zしかいないんじゃないかなって思うんですよ私は。死ぬってわかってて好きな女のところに駆けつけて、案の定ぶっ殺されて、彼女泣いてるの見て「泣かないで笑ってよ」って言える狂い方はねぇ、A.B.C-Zの専売特許じゃんって思うんですよ!!!???お前何言ってんだって思った方はA.B.C-Z見てください。毎週水曜日NHKBSで放送中の少年倶楽部に出てます。


情熱のままに語りすぎてすいません。わけわかんなかった人はネットで検索して歌詞とか見てね。お願いだからこの4曲でプレイリスト作ってね。以上です。


アンダルシアに憧れて

アンダルシアに憧れて

from ABC to Z

from ABC to Z

PERFECT / KAT-TUN

どうしても自分が惨めに思えるとき、どうやって心を浮上させればいいのか?というのは、最大のテーマかもしれない。

自分を過信していた季節が一度終わり、今はだいぶ高度を下げて飛んでいる。周りが少し見えやすくなったことの代わりに、人のことが必要以上に気になるようになった。うまくいっている人を妬ましく思ったり、自分にないものばかりが目に入る。生まれた場所が違ったら?とか、あのときああしていれば、今違う場所にいたかもしれない、とか、もしもの話で頭がいっぱいになる。

そんなとき「PERFECT」というタイトルの強さにハッとする。テストなんかじゃない、採点のできない「自分」という人間を、PERFECTと称されること。人間にはかならず欠点があって、だから完璧でも完全でもないと思っているけれど、すごく強くて、でもさりげない励まし。

人と比べ、無駄な時間を使い、悩んで泣きながら進んでいくこと。それをする人に、完璧、完全、という大きな判子を押してくれる。

見えないけれどたぶん同じように生きている人はたくさんいて、でもそれぞれの人生が違う。誰も歩いたことのない道を歩むのは、生きていればかならずそうなる当たり前のことなのだけど、人はそれを忘れる。凡庸で変わらない毎日に焦る。孤独を感じる。

元気はすぐには出ないけど、その不完全で不完成な姿こそが完璧で、完全で、PERFECTな人間の姿なんじゃないかと思う。そういう風に感じる。とても好きな1曲です。

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ジャニーズJr.のお名前短歌(すときんぷりすの編)


こういう、好きなアイドルの名前を一文字ずつ順番に短歌の中に詠み込むという遊びを最近しています。なるべくお名前ご本人のイメージに沿いつつ、名前をちゃんと入れるという縛りが、個人的に楽しいです。今回いくつか詠みました。解説と呼べないひとことコメントも添えてあります。誰の短歌かコメントを見ればわかる……かな?短歌の中に隠れてる名前を探してみてくれるとうれしいです。

愛じゃない永遠じゃない凡人が知れないことをあなたは知れる

のびやかでナチュラルで普通じゃないジェシーくん。たくさんの人の知れないことを、知る力がある。彼がよくkinkiの歌を歌うので、ちょっとそのテイストも詠み込んでみた……つもりです。

毒入りのりんごが今日も届きますためいきの出る鏡よ鏡

京本大我くんは「白雪姫」。なんかこういうのが似合うなと思っています。京本くんは繊細で現代っ子な白雪姫なので、毒入りの林檎はすぐ勘付いて、食べないので死にません。

戻りたい、また元のように信じたい。たまたま白いシャツ着るように

森本慎太郎くん。白いシャツを着たら、何でも信じられたころに戻れるわけじゃないけれど、少しはピュアに笑えるかもね?という、勝手な森本君のイメージです。

それ以降こっちは変わりありません夕暮れはその町でもすごい?

高地優吾くんは、仲の良かった女の子との文通。夕暮れはきっとどの町でもキレイだよね、だったらその話をしよう、という、なんだかふにゃふにゃと優しい彼です。

甘い罪 今は無理よと笑われて魔法は強く強くとけない

松村北斗くんは蜷川実花の世界と言いますか、白い肌に赤い口紅、恋い焦がれる美しい女の人を目の前に、どうして?と泣きたい気持ちになっていてほしいです。

あなたなぜか夜中の味がするジュースばかり買ってはわたしにくれる

田中樹くんは夜。彼の買って投げてくれる、よくわからない自販機の缶ジュースは、夜中の味がするのです。月にもやがかかったような、都会の夏の夜です。

いま怖いものはないです幸せを求めるときはみんな現金

岩橋玄樹くんは夢見る強がり。ちょっと現金なところがかわいらしいと思っているのですが、その分他の人の現金さも理解できるのかもしれないなと思います。

24時半、偶然を信じてる。許してあげる、嘘ついたこと。

神宮寺勇太くんは、優しい彼氏。大切な女の子のためであれば、夜中に偶然を信じるし、嘘をついたことも許してあげます。

生き残れ!死んでも夢を見る男!君と明るい歌歌うのだ

岸優太くんは、どうしてもビックリマークを入れたくなる男の子ですね!サンボマスター的なガムシャララブアンドピース感といいますか、とにかく世界がそれを愛と呼ぶんだぜってテンションで詠みました。

今日の日はさようならこの一生をかけてあなたと話がしたい

平野紫耀くんは、天然というか、非言語的な人かもなと思います。彼は共通言語をあまり持たず、一生をかけて、言語以外の方法で、例えば歌とかダンスとかで、世界と渡り合っていくのかなと思ったのでした。

長すぎる夜に世界が眠ってるいずれ誰もが本当を知る

永瀬廉くんは、冬のずっと続きそうな夜。ひんやりした闇に足を浸して、永瀬くんの目だけが光っていて、自分が知っていて大切な人が知らない「本当のこと」について、いつかは知ってしまうんや、と考えている感じ。

確かではないけど君しか見えてないとんでもないね恋とか愛は

高橋海人くんのあっけらかんさが好きです。恋も愛も深く深く潜っていくのではなくて、とんでもないね?!と、あの大きな目を開いて、笑い飛ばしてくれそうです。そこが好きです。

言い訳もできずとっくに戻れない粉々にされたぶんだけ光る

岩本照くんは、どうしても「光る」を詠み込みたくて、名前をそのまま詠みました。一枚のガラスが、力ずくで割られて、砕け散った破片がキラキラ光る。壊れて傷ついた方が光る。ハードなかっこよさ。

私ではあなたを軽蔑できません性懲りも無く助けてほしい

渡辺翔太くんはそのまんまかもしれません。悪い男。罪な男。いつも勝手に見離して、勝手に助けてくれるので、離れられない的な。

アカシアの花咲く街で抱きしめて愛する君と喧嘩もしたい

佐久間大介くん。外国(佐久間くんに外国のイメージがある)のレンガ色の道、春で花が咲いていて、パレードがやってくる。紙吹雪の中、お祭り騒ぎの中、抱きしめあってクルクル回って、君とだったら喧嘩だってしたいね!という。

胸深くざわめきたちが司る自分自身を辞められる場所

深澤辰哉くんは、ファニーなイメージなんですが、あの冷静な目がゾクっとします。深澤辰哉が、深澤辰哉を辞めるときを、永遠に見ることがないとしたら、それってすごいなって思っています。

ああ別に利用されても平気ですあなたには傘貸しませんから

阿部亮平くんは、優しくない優等生。気象予報士のイメージもちょっと詠み込んでみて。明日の天気ですか?雨だと思いますよ。ああ傘なら貸さないですよ、傘だけにね。はは。みたいな。

蝉の声止んで全てが変わりゆく夏 迷ったら腕を叩いて

宮館涼太くんは永遠のジェントル。純文学的な。お名前に個人的に夏っぽいイメージがある(涼、だからかな)ので、正統派ジェントルな夏の短歌にしました。白いTシャツの宮館くん。