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こみねもすなるだいありー

全然何にも怖くない

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naraku SWEET

ぼんやり目を覚ますと足が冷えていた。ウッ、とうめいてホテルのペラペラなシーツの中に足を引っ込める。簡素なシングルルーム、テレビもスポットライトも点けっぱなしで寝てた。
放りっぱなしだったiPhoneを手に取ると、DMMのダイレクトメールやクレジットカードの請求額確定のお知らせに混じって、メッセージが届いていた。LINEでもspメールでもGmailでもなくショートメール。ショートメール送ってくる相手なんか一人しかおらんから、相手はすぐわかる。090から始まる電話番号の下に、腹立つフォントで腹立つメッセージが浮かんでいる。

『着いた?』

バックライトの明るさで目がしょぼしょぼする。やっと時間を確認する。3時……。いや起きとらんやろ、と独り言を言いながら文字を打つ。

「おまえはよすまほ買えや」

雑誌のオフショットコーナーで、パカパカのガラパゴスケータイを使っていることをすっぱ抜かれたメッセージの主は、いやおれ、タッチパネルが反応せえへん特殊な体質やねん、と真面目な顔で言う。嘘つけ。どうやって駅でICOCAチャージしてんねん。大体タッチパネルやろ。ファンの子はそれを見て、やだショウゴくんかわいい、とか、自担はおじいちゃん、とか言っている。おめでたいぜ。ファンは盲目。ファンの語源はファナティック。
スマホを枕の向こうに放ってテレビを見やる。見たことのない関東ローカルのバラエティ番組をやっていた。巨乳のおねーちゃんがビキニでバナナ・ジュースを飲んでいる。いいねいいね。インスタントでええやん。シャワーを浴びて濡れたままの髪で寝こけていたので、すごい寝癖が付いているけど気にしない。枕に頭をはめこむと、スマホが震えた。LINEでもGmailでもなく、ショートメールが届いている。お前かい!起きてんのかい。

『俺、タッチパネルに愛されてないから』

相変わらずそれか。全然おもろない。ちょっと目が覚めてきた。パパパとキーボードに指を滑らせると、テレビの中のおねーちゃんがきゃあとかわいい声を上げた。

「着いた。東京さむいわ」
『明日何時からなん』

返事が早い。この時間までこいつ何してんねやろ。

「8時入りでゲネしてちょっと収録あって本番」
『寝んでええの』
「お前のせいで起きた」
『社長あった?』
「会ってへん 明日多分来るやろ」
『迎えきたん下川さん?』
「そう」
『下川さんめっちゃ眉毛細なってなかった?あれ絶対失敗』
「そこまで人の眉毛見ん」

普段大阪で仕事してると、ちゃんとした「マネージャーさん」ってかんじの人はおれへんけど、東京に仕事しに来るとフツーにそういう人おってビビる。下川さんはよく大阪から来る俺らの世話してくれる事務所のお兄さん。お兄さん……とおっさんの間くらいの人。イカツイけど最近生まれた次女にメロメロらしくて、今日も東京駅へ迎えに来てくれたタクシーの中で写メ見せられた。人んちのまだしわくちゃの子見てもカワイイかカワイくないかなんてわからんけど。赤ん坊は概念としてかわいいもんやから「かわいいですね」言うといた。でも下川さんの眉毛まで見てへん。ショウゴどこで下川さんの眉毛見てん?あいつ最近東京の仕事あったっけ?

部屋のすぐ下の道路は夜なのにずっと騒がしい。なんかビンの割れる音、バイクかなんかの走ってく音、いろいろ聞こえる。部屋の電気消して、テレビのあかりだけにすると、窓から光が漏れてくる。結構東京の夜好きやねんな。なんか、大阪とはちょっとちゃう。東京の方が、いつもおんなじ匂いがする。何月に来てもおんなじ、古い雑誌みたいな匂いする。胃の中で、さっき食ったセブン・イレブンのチョレギサラダが揺れている。どこでメシ食ったらええかわからんから、いっつも地元で食ってるもんとおんなじもん食ってしまう。太ったらあかんし。最近外食続いて顔丸なってる気するし。

ショウゴは、全然太らん。10年くらい、おんなじ塾通っとるくらいの頻度で会い続けてるけど、1回もぽちゃってるとこ見たことない。結構食ってるのに。差し入れの菓子も寿司も食うのに。日頃節制してるってわけでもなさそうなんに。不公平やな~。俺、わりとちゃんとしたもんをちゃんと食わなすぐ太る。しかも顔から肉つくから、すぐバレる。手紙で「カナエくん太りましたか?そんなところも好きです☆」って書かれる気持ち、あいつにはわからんやろな。Twitterで「【速報】嶋カナエ太る 嶋カナエ太る 嶋カナエ太る」って二重顎の変な顔で一時停止されたキャプチャ画像付きでツイートされてまう気持ちもわからんな。

まあ、ええか。お土産に東京ばな奈買って帰ったろ。ひと箱全部食わしたろ。

明日起きられたらええけど。一応部屋の電話機でモーニングコールを仕掛けて、スマホのアラームもかけた。絶対寝坊できん日に使う、U2の「Volcano」を朝7時に鳴るようにした。大事な仕事や。仕事はみんな大事やけど、それでも自分の中でドキドキする瞬間はある。心配になって、それでもなんか楽しみな仕事はある。何にも起きんと諦めてるところがちょっとあるから、天変地異でも起きそうな予感がちょっとでもすると、なんか嬉しくて楽しくなってしまう。さっきまでバナナ・ジュース飲んでたビキニのおねーちゃんにも、きっとそういう仕事があるんやろう。もしくは、あったんやろう。みんなそうやと思う。思いたい。ショウゴも……そうなんかな。

俺からのメッセージで止まってるところに、もう1個投げ入れてみる。

「お前、辞めるってほんま?」

画面を見つめても、何分見つめても、返事は来んかった。寝たんか、いや、絶対起きてた。とりあえず俺は次の日寝不足でドロドロの顔でU2聞きながら部屋飛び出したってことだけ、お伝えしとくわ。クソすぎ。

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スミマセン

自分を律することをテーマに頑張ってきましたが、だいぶ疲れました。食べるものに気を付けて、眠る時間に気を付けて、髪型に気を付けて、言葉に気を付けて、人に迷惑をかけないように頑張ろうと思ったのですが、全てを完璧にできたとして、それは何のためなんだろう?ととても疑問に思います。私がどんなに私比でよくできた人間になっても、それが他人比で好意を持つに値する人間でなかったら、どうしたらいいんだろうと思いました。私が私のことを好きになったとして、私は一人で生きていけるわけではないのだから、他の人から見て存在価値のある人間にならないと、どうにもならないのではないかと思いました。人の目が気になって、相手が何の気なしに言ったかもしれない言葉について一日何度も考えて、昼休みものがたべれず、どうしていいかわからなくて、本当に、私はなんで今まで頑張ろうと思えていたのかなぁと考えてもわかりません。世界はキラキラしているはずなのにちっともそれを見る余裕がありません。陰口を言われても自分らしく生きている友人がいるのに、私はなんでこんな些細なことで死にそうになっているのかわからなくて、情けないです。とても情けなくて申し訳ないです。何に対して申し訳ないのかもわからないけど申し訳ない。
好きな物を好きな時間に食べて、好きなことを好きなタイミングで言って、好きな服を着て、好きな場所で好きな仕事をして、好きな人とだけ付き合って、好きなものを好きなだけ買って生きていたら、破滅するんじゃないかと思うんです。でも、だから自分を律そうと思って、律するんですが、うまい力加減がわかりません。首がどんどん締まってあわてて手を離すと、ドロドロの汚いものがいっぱい出てきて汚れてしまう。みんな上手な力加減で、きれいで洗練されたブレスレットやチョーカーで自分を律している気がするんですけど、どうしても私にはそれが買えないみたい。お財布の中はからっぽです。何を書いたら自分が楽しいんだろう?こんなことを書きたいわけじゃなかったのになー。面白くなくてごめんなさい。気持ち悪いもの世の中に増やしてほんとすいません。

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3月のライオン(前編)-香車は後ろへ戻れない-

映画


映画『3月のライオン』予告編②

とにかく幸田香子!!という感じの前編で震えた。原作を読んでも香子はとっても好きなキャラクターで、もっともっと彼女の内幕や自暴自棄なふるまいを見たいと思っていたけれど、紙の上から立ち上がってきた有村架純演じる香子が、まさにライオンのようだった。明るいキャラメル色の巻き髪をバサバサ振り乱しながら泣きわめいたり寂し気につぶやいたり、手負いの獣のようでよかった。

とても香子に感情移入して映画を見た。原作の漫画を読んでいると、川本家はあったかいなぁとか零くんは本当に強いなぁとか思うんだけれど、映画を見ていたら、川本家にはキモチワルイという感情が、零には「あなたはそうやって進んでいくのかもしれないけどね」という感情が強くにじみ出てきた。初めて会った、道端で酔って倒れていた男の子を家で寝かせて鍵を渡してご飯を食べさせて「おねいちゃんはガリガリな子をフクフクにするのが好きなの」と言っている川本家が本当に気持ち悪くて、なんだこのお化けみたいな家庭はと思ってぞくぞくしてしまった。3Dの川本家はびっくりするくらい空虚で、私には誰かに施しを与えることで、ポカンと口を開けていることでなんとか家族としての形を保っているように見えた。初詣、後藤と腕を組んだ香子が「今度はこの人たちなんだ」「得意だもんね、不幸ぶって人んちに踏み込んで、家族をめちゃめちゃに壊すのが」と言い放つシーン、「香子はヒドイ!」と思うべきなのかもしれないけど、「いや香子の言うとおりなのでは……」と思ってしまった。自分が香子だったら同じことを言っただろうし、家を出て他の人の家で幸せそうに笑っている零を見たらギタギタにぶち壊したくなるだろうし、零が暖かい家庭の仲間として暮らしながら将棋の世界ではプロとして戦っていくという夢物語のような現実を認めたくないだろうと思った。その横で驚いた顔をしている川本家の人たちにも心底腹が立つだろうと思った。

原作で、幸田家のお母さんは「零と幸田プロは同じ人種」のような発言をしたことがあるけれど、本当にそうで、零も幸田プロもちょっと普通の人間ではそこまでできないだろうということをする。それが強さだと言われたらそこまでなんだけど、その強さにはじかれた人たちは軌道を乱し、きりもみしながら地面に向かって落ちていく。
香子と弟の歩は、おそらく幸田プロに、将棋にちなんだ名前をつけられたんだろうと思う。「香車」と「歩」からとって、キョウコとアユム。そうして将棋の家の子供として生まれて、将棋を教えられて、強くなることを良しとして育ち、父親が連れてきた内弟子の男の子と激しくぶつかりながら大きくなっていく。将棋をする人間として育っていく。内弟子の方が棋士としての将来を期待されていると感じ取りながらも、戦うことを止めずに走る。そしてある日、その父に「将棋をやめなさい」と言われる。自分に将棋の駒の名前をつけた父にそう言われることの恐怖を、少し考えただけで手が冷たくなる。「辞めたくない」と食い下がる香子に、「将棋以外の人生もあるさ」と言い放った幸田プロを、勝負の世界に浸かった、私たちとは違う種類の人間だと思わざるを得ない。香子が自分で壁にぶち当たり、粉々になり、私はここまでなんだと諦めるのを見守った方が、どんなによかったかと思う。それで香子が人生の時間を無駄にすることになったとしても、香子が愚かに棋士を目指すことを諦めず、どうしようもない状況に立たされたとしても。幸田プロは将棋以外の人生なんて考えもしない人間で、そんな父親に「将棋以外の人生を歩みなさい」と言われたところで、ただ人生の指針をもぎ取られたような、そんな気持ちになるのは当たり前なんじゃないか。

将棋をして強くなることが当たり前だった女の子が、それを全部なくす。香子の「香」は「香車」の「香」。まっすぐ前にどこまでも進む、後戻りのできない駒の名前。ひどすぎる。私は香子が愛おしくてかわいそうで痛くてたまらなかった。どうしていいかわからない香子が木の葉のようにただよっているのが苦しかった。零の前に気まぐれにあらわれてひっかきまわしていく、それは全部香子の「生きたい」の叫びのように思う。愛して生きたい。もっと楽に生きたい。自分がここにいたいと思える場所で生きたい。香子はまだその何もわからない。そんな苦しさを自分もなんとなく知っているような気がして、それでまた涙が出た。

そういう「かわいそかわいさ」みたいなものを除いても、有村架純ちゃんの幸田香子はビジュアルとして美しくてキュンとした。9センチくらいはあるんじゃないかと思う黒いピンヒールを履いて、鳥のように朝の駅前を歩いていく香子のシーンがあるのだけど、そこを何百回も見たい。あと架純ちゃんがSK-2のプロモーションをしている関係か、後藤に頼まれて香子が買う化粧品がSK-2だった。原作ではこのとき買ってる化粧品はランコムっぽいんだけど、後藤はそのSK-2を入院中の奥さんの手に塗っている……こわい……フタが赤いジャータイプのクリームだったから多分ステムパワーリッチクリームかスキンシグネチャーメルティングリッチクリーム??定価15000円くらいと18500円くらい……それを手に塗ってもらえる奥さんヤバイ愛されてる。

www.sk-ii.jp

「来いよ」って言われてクリスマスは大阪へ行った

6月に今の仕事を始めた。毎日同じ制服を着て、同じ場所へ通うのは高校生の時以来で、泣きながらなんとか免許も取って、職場の人はみんな優しくて、私は頑張ってた。自分で自分のことを頑張ってるとか言うのどうかなとも思うけれど、それでも頑張ってたと思う。すごく勉強をした。私ができるのは勉強くらいしかないんじゃないかなと思って。

ある日突然、「私ってこのままでいいのかな」と思った。私ちゃんと変われているんだろうかと。同じ毎日を淡々と続けることは、想像以上に体力が必要だった。毎朝起きて、仕事へ行って、まっすぐ家へ帰ってくると、「このままでいいのかな」と思い始めて数日で死にたくなった。なんでなのかわからない。でもこんなにはっきり消えたいとか、あるいはぼーっと車に乗っていたら一時間経っていたとか、そういうことが初めてだった。今まで前向きで明るいこみねちゃんとして生きてきた。これからもずっとそういたかった。でもどうしても浮かんでいけなかった。つらかった。諦めたくなかった。ちゃんとすべきことをこなして、少しずつ上へ上へあがっていきたかった。認められたいなら頑張るしかないと思った。でもつらかった。

趣味のことは、ほとんど上の空だった。テレビも見ない。みんなが楽しそうで少し妬ましかった。なんでみんなそんなに楽しそうなんだろう? と思った。そういう風に考える自分が最低で、すごく嫌な人に思えた。自己嫌悪しかなくて、照史くんのことを見たくなくなった。照史くんのことは変わらず好きなのに、照史くんを見ていられなくなった。

限界かもしれないと思った日、車に乗って一人になった瞬間に、何も悲しくなくてどこも痛くないはずなのに泣けてきた。しばらく走っていれば止まるだろうと思って、近くの本屋さんまでドライブしたけれど、本屋さんの駐車場で動けなくなってしまった。何をどう解決すればしんどくなくなるのか、皆目見当がつかなかった。誰もが私に優しいのに、なんで私はこんなにイヤイヤ言っているんだろうと、自分が情けなかった。家に帰ればお父さんもお母さんも待っているのに、友達もいるのに、心配してくれているのに、私はなぜ普通に生きられないのか?と思った。

なんとか家に帰りついて、もちろんボロボロになった顔をお母さんに心配された。うまく説明できるつもりはなかったけれど、友達のひとりに「身近な人に相談してみたほうがいいよ」と言われたことを思い出して、お母さんと話をした。案の定うまく伝わらず、お母さんはひたすら私を心配し、私はひたすらそれを否定しまくって終わった。ひどいことを言ってしまった。お母さんの前で死にたいと言ってしまったことがショックだった。

部屋に戻ると、青い封筒がぺらっと置いてあった。すぐにチケットだってわかった。お父さんかお母さんが、簡易書留で来たのを受け取ってくれていたんだろう。クリスマスに行くつもりだった、ジャニーズWESTのコンサート。もう行くつもりがなかった。行ける元気がなかった。今の私が楽しい場所に行っていいはずないと思った。誰かに譲って行ってもらえれば、席を確認して友達に相談しよう、と、封を開けた。

見慣れない席種だった。8階?なんだこれはと思って検索すると、京セラドーム大阪には「ビスタ席」なるものがあるらしい。スタンド席のさらに上、ビスタルームに備え付けられたバルコニー席からコンサートを見る。8階はその一番上。どうやら席に着くとき、必ず身分証を呈示するらしかった。チケットを持ったまま思案した。私が芦屋こみねですよと身分証を呈示できる人にしかこのチケットが使えないのなら、このチケットは私にしか使えない。誰かに譲ったって意味がない。それに気づいた瞬間、頭の中がちかちかちかちかした。

照史くんのことを思い出した。久しぶりに思い出した。「見に来いよ」って言われている気がした。そんなの誰だって思う、ファンのかわいい夢だっていうのはわかっているけれど、でも私の名前が書いてあって私にしか使えないチケットは、その時の私の手をぎゅーっと握ってくれた。つらい気持ちと悲しい気持ちと、突然のあったかさで混乱した。私はチケットを封筒から出して、部屋の壁にテープで貼った。起きてすぐベッドから見える場所に貼って、その日眠った。次の日からは、毎朝起き上がって、貼り付けてあるチケットを見て、ベッドから降りて仕事へ行った。とりあえず、クリスマスまでは頑張ろうと思って、毎日決まった時間に起きた。

24日、久しぶりに、夏ぶりに新幹線に乗って大阪へ向かった。友達と会った。初めまして!と優しく話してくれる人もいれば、私が落ち込んでいるのを知っていて「心配してたよ」と抱きしめてくれる人もいた。友達の前でうまく悲しいとか、しんどいとか、上手に気持ちを言えなくて、ヘンにへらへらしてしまったけれど、私はとても嬉しかった。人に会って、こんなに救われた気持ちになると思っていなかった。自分だけではどうにもならないとき、こんな風に人が助けてくれることがあるんだと思った。コンサートへ来てよかったな、照史くんを好きでよかったな、と思った。

ビスタ席の入り口は、びっくりするくらいひっそりした場所にあった。係員のお姉さんにチケットを切ってもらって、エレベーターでぐんぐん8階まで上がって、とうとうビスタルームのバルコニーへ出た。びっくりした。私の上にも後ろにも席がない!私は京セラドームの一番てっぺんに来た。圧巻だった。広くて、大きくて、皆が袋から出して点けたペンライトのあかりがどんどん増えていくのが分かった。素敵だった。ため息が出た。私はペンライトと、双眼鏡と、ハンカチを膝に置いて開演を待った。

センターステージの白い幕が落ちた瞬間から泣いていた。会えてうれしい!という気持ちより、今年一年の自分のことを思い返して泣いていた。辛いことがたくさんあって、底から上を見ていたけど、こんな風にきちんとそれが返ってきたことがうれしかった。初めてドームのステージに立つ照史くんは、泣かない泣かないと言っていたくせに泣いていた。たくさん泣いていた。私の一番好きな、まっとうな人間として頑張っている照史くんだった。

照史くんが事務所に入って、今年ドームのステージに立つまで、14年かかったらしい。照史くんが言っていた。14年って、到底想像がつかなかった。今までどれだけ「まだ仕事を始めたばっかりなんだから、今焦ったって仕方ない」と自分に言い聞かせても理解できなかったのに、その照史くんの一言で、すとんと私の苦しみが終わった。照史くんが14年頑張ってあこがれのステージにたどり着いたように、私もゆっくり、長い時間をかけてどこかを目指せばいいんだと素直に思えた。今日頑張る、今日頑張る、今日頑張る、と、小さなステップを積み重ねていけば、私もきっと照史くんが味わったような「最高」を味わえる。それは夢見る夢子の夢ではなくて、照史くんがちゃんと教えてくれた、真面目に生きる醍醐味みたいなものかもしれないと思った。

楽しいクリスマスが終わって、新幹線で山口へ帰る間も、胸がずっとほこほこしていた。終わっちゃって悲しい気持ちじゃなくて、これからはどういう気持ちで生きよう?という、なんか底抜けな明るさがあった。雪だるまのペンライトを持って、大好きな友達からのメッセージをたくさんもらって、大好きなジャニーズWESTの曲を聞きながら新幹線に乗っている私は、めちゃくちゃ愉快で楽しく人生生きてる人みたいで面白かった。あのビスタ席のチケットがなかったら、私いまどんな気持ちだったんだろうなぁって思った。枝分かれした未来のうちの一つに私はいて、それは照史くんとかジャニーズWESTとか大好きな友達とか、大事な家族とかがこっちだよ~と導いてくれた未来だった。とりあえず帰ったらすぐに、お母さんに楽しかったよって言って、たくさん話をして、もう大丈夫だよと伝えたいなぁと思った。

今年一年、色んなことがあって色んなことで悩んだけど、最後にちゃんと年末調整があって、私が払い過ぎた落ち込み税が控除されて返ってきたみたいな、そんなクリスマスでした。照史くんありがとう。来年も好きでいます。助けてくれて本当にありがとう。

溺れるナイフ - 神様を得た15歳 -

自分の考え 作品レポート 映画

gaga.ne.jp

せっかく楽しみにしていた映画なので、初日に見に行ってきた。


東京で芸能活動をしていた美しい15歳の「夏芽」が、家族と共に祖父のいる田舎へ引っ越し、そこで地元の名家の息子、奔放で自分の神と共に生きる少年「コウ」と出会う、というお話。ぜひ予告を見てね。

www.youtube.com


告知ポスターに書かれた「一生ぶん、恋をした。」という文句は、大体の青春ラブストーリーだと陳腐になってしまうけれど、「溺れるナイフ」においては、本当にその文句そのままでしかない。コウが夏芽にしたこと全てのせいで、コウは夏芽の神様になってしまった。
「お前はキレイだから自分のものにしたかった」と夏芽に語るコウは、田舎でコウの傍にいて、普通の幸せを得ようとする夏芽を突き放す。お前の天職が何なのかはもうわかっているだろう、と、夏芽が辞めようとしている芸能活動の世界への扉を指し示す。夏芽を貶めようとするもの全てを引きちぎって、殺して、焼き尽くして、彼は完全な夏芽の神様となる。夏芽は神様のコウに指示された扉を開き、ライトのまぶしい世界へ帰っていく。

これは夏芽が、神様を得る物語だったんだと思う。

物語の終盤は、フィクションと夢と現実、過去と未来が交互に織り込まれたような構造をしている。一年前の夏芽を襲った男が、再び夏芽のもとに現れる。夏芽を今度こそ犯し、貶めようとする男を、コウが制する。夏芽はコウに「そいつを殺して」と叫ぶ。殺そうとするコウを、2人の友人であるカナが止める。男は夏芽がコウに譲り受けたナイフで自らを傷つけ、男は絶命する。カナは夏芽に血にまみれたナイフを渡し、「全部海に沈める。もう二度とコウに会わないで」と告げる。沈んでいくナイフ。溺れるナイフ。そしてシーンは、夏芽が映画賞を受賞するシーンへ移る。この一連のシーン全てが、夏芽の主演した映画の中のことだったかのような演出。夏芽が夢とうつつを交互に行き来している様子がその間にさらに挟まれ、濁流のようにラストシーンへ流れ込む。

夏芽は、初めてコウと行った夏祭りで、コウが男を止められなかったことを責める。なんであいつをやっつけてくれなかったのかと、揺れる小舟の上でコウに迫る。コウは「お互いに幻想を見ていただけ」と夏芽をかわす。自分が犯されそうになったとき、神様であるはずのコウは自分を助けてくれなかった。神様は神様でなければ神様でない。私と恋人にならないなら、私を普通の女の子として傍においてくれないなら、何故男を殺してくれなかったのか。なぜ神様になってくれなかったのか。あいつを殺して。恋人でないなら神様でいて。

コウは一年越しに、夏芽のその願いを叶える。「殺して」と叫ぶ夏芽のため、コウは男を殺すべく拳をふるう。コウのナイフで男が自ら命を絶つという、間接的な形にはなるけれど、コウは男を殺す。夏芽を貶めた男を殺し、夏芽を解き放つ。そうしなければ、夏芽は自由になれなかった。コウは夏芽を自由にしてやらなくてはならなかった。でなければ、夏芽はコウの「巫女」になれない。コウは夏芽が、自分の持てるものを全て使って、遠くまで行くところが見たかった。それが面白いからだ。最高に面白いからだ。神様は、巫女が美しく舞うところを見たかった。それが自分たちが共に生きていくうえで、一番まっとうな形だと思っていた。だからコウは夏芽のために男を殺し、夏芽を開放する。「ここであったことは何も気にしなくていい」と夏芽に語り掛ける。そして夏芽はやっと、自分が一番美しく舞える場所へ戻っていく。

夏芽はこれから、一生をかけてコウを追い続ける。何をしていても、誰に認められても、「コウちゃんはもっとすごいんだよ!」と、あの金色の髪を思い出す。
それは強烈な恋と憧れでできた契約のようなもので、それこそが、映画ポスターのキャッチコピー「一生ぶんの恋」なのだ。絶対にかなうことのない恋。終わらない恋。夏芽はこの先、安らぎを得られる恋人を見つけることはあるかもしれないけれど、神様を見つけることはない。絶対にない。コウとは二度と会わないだろう。彼は神様だから。神様に恋をすることはできても、神様と恋人になることはできない。
ラストシーンは、夏芽の解き放たれた魂が見せた美しいワンシーンだった。白いタキシードを着たコウが、白いワンピースを着た夏芽をバイクの後ろに乗せ、花びらをまき散らしながら疾走する。コウの背中につかまりながら「……私の神さん」と夏芽がつぶやいて、映画は終わる。コウが自分の「神さん」を持っているように、ついに夏芽も、コウという自分の「神さん」を得た。





映画のキモとなる夏芽とコウのシーンに、寄り添うようにして描かれた大友とのシーン。
夏芽を気にかけ、まっとうな恋心を抱き、「なんでもしてやりたい」「困ったことがあったら俺に言え」と語り掛ける大友は、夏芽の神様にはならなかった。大友はもとより、神様を信じてはいないんだろうと思う。コウも夏芽も、大友には神様に見えない。どんなに美しくても、鮮烈で刹那的に生きていても、大友はそれを祈りの対象にしようとは思わない。神様がいなくても生きていける人間。大友が「神様がいる海だから立ち入ってはならない」という町の掟を守るのは、「神様が本当にいるから」ではなくて、「町のみんなが大事にしている掟だから」だからでしかない。
夏芽が「大友といると明るい気持ちになれるの」とコウに語ったのは、嘘ではない。皆が「美しい」「キレイ」「美人」とほめそやすことに、夏芽はいつも居心地の悪さを感じているようだった。誰もがそう言いながら、夏芽にそれ以上を望んでいるようには見えなかったからかもしれない。けれど大友は、夏芽の美しさを「おしゃれさんやな」「アンニュイ美少女やな」と茶化す。ズラす。リアルな手のひらで触れようとする。自分が道化になって笑わせる。そして、東京へ戻るから別れようと告げる彼女を、渾身のカラオケ「俺ら東京さ行ぐだ」で送り出す。

家業は兄が継ぐ、自分はこの町から出る、と大友は語った。大友はこれからもずっと神様を持たないまま、夏芽もコウも、町のことも忘れないまま、歳をとる。



夏芽が、道端の祠へ手を合わせ「私には普通の幸せは、もうないんでしょうか」と語り掛けるシーンが胸に残っている。夏芽がほしかった「普通の幸せ」は、なんとなく想像がつく。夏芽がコウのことを「私の恋人」とか、「私の彼氏」と言えたなら、どんなに「普通の幸せ」だっただろうと思う。ラストシーン、信じられないほど幸福そうに、でも諦めたような悲しみをたたえて「私の神さん」とつぶやいた夏芽のことを、本当に愛おしく思う。解き放たれてはいても、神への恋はかなわないまま、一生夏芽の美しい胸の中にある。